筋肉痛を空腹で癒し、時間の使い方に思いをはせる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

筋肉痛を空腹で癒す夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

普段甘やかしてたのか、ちょっと力仕事をしただけで、下半身に筋肉痛が発生しました。

 

少し腰を落とすと、太ももの裏側とかがすごく痛みます。

 

ここを、肉食で何とかしようというのは、エネルギーの使い方を間違えているのかもしれません。

 

なぜなら、お肉の消化にも、エネルギーを使うから。

 

逆に、空腹でいると、体さんが頑張って、体を修復してくれるのだと何かで読みました。

 

というわけで、空腹です。

 

限られたエネルギーをどう配分するか、それもまた、大切な配慮なのでしょう。

 

限られたエネルギーと言うか、自分資源の最たるものが時間です。

 

寿命がある生き物で、しかも現代社会では、いつなんどき命が消え去るのかわからない、というのに、まるで「湯水のように」あとからあとから時間がわいてくるのだと、錯覚してませんかご同輩。

 

いや、巻き込んでしまって申し訳ない。

 

けれども、時間の取り扱い方は、いつの時代でも、いくつになっても、どうしたら最善なのか判然としない、大問題であるのでしょう。

 

その証拠に、時間術の書籍は、毎年新たに出版されてますから。

 

「これがベストだ!」という時間の使い方、考え方があるのなら、今頃はその本だけを読めばいい状況になっていてもおかしくはない。

 

でもそうではないので、毎年のように、新しい装いで、時間術がめぐってくるのでしょう。

 

時間を見える化するツール、手帳の世界でも、新しい流行や、以前のもののリバイバルが、半ば新鮮味を帯びて、今年のトレンドを形作るようです。

 

手帳で時間を見ようと思ったら、マンスリーでは粗すぎます。

 

ここはやはりウィークリーを見開きで、時間を俯瞰しないと、自分が使える時間が見えてこない。

 

時間軸がなかったり、自分で書き込むものもありますが、ここはできれば最初から印刷されているものが使いやすいでしょう。

 

できれば24時間見通せる時間軸が望ましくもありますが、せめては朝の早い時間からのがいいと思います。

 

夜勤なんかがある人は、24時間が必須でしょうけど。

 

また、ビジネスパーソンを念頭に置いているのか、時間軸の始まりが、朝9時からなんて手帳もあるけれど、そこはもう自分の生活時間をどの程度把握したいのかによるのだと思います。

 

朝の時間も、見えるようにしたほうがいいと思います。

 

そして、砂と石をコップに入れようとするときに、石から入れるという、ビジネス書でおなじみの思考実験の教えに従って、石のようにカタマリになっているスケジュールから手帳に書き込んでいくと、自分が自由に使える時間が見えてくる、というわけです。

 

限られた時間の中の、さらに限られた、というか残された時間が見えてきたら、無駄にしてはなりますまい。

 

その時間の中で、あれをやりこれをこなし、というやりくりが想像できるでしょう。

 

「限られた(自分が自由にできる)時間」は、もはや限定品です。

 

しかも、いつもあるとは限らない。

 

あれもしたかった、これもするんだった、ということにならないよう、時間密度を高めませんか、ご同輩。

 

しまった、また巻き込んじゃいましたか。

 

今日飛来しなくても、とは思いました

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

洗濯をした日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

曇り空だったけど、洗濯をしました。

 

パンツとタオルのローテーションが崩れそうだったので。

 

でもネットの天気予報を見たら、日本海側にあの方が飛来しているとか。

 

衛星写真でもかなりくっきりと、黄色味を帯びた流れが見て取れます。

 

黄砂。

 

日本海側では、春先の風物詩のようなものではありますが、砂にくっついて、いろんな有害物質も飛んできているそうなので、「洗濯物は、外に干さないほうがいいでしょう」と予報は教えてくれてます。

 

なので、室内干しとなりました。

 

人生、タイミングですよね。

 

たまたま、黄砂が飛んできた日と僕の洗濯ローテーションがシンクロしただけ。

 

でもそのシンクロを、必要以上に価値づけていたりもします。

 

ついてないとか、運が悪いとか、なんでこの日に、こんな運命かよ。

 

と嘆く日もあれば、そうでない日もあって、おそらく長い目で見ると半々だと信じたいですが、結局は、自分の気持ち次第なのでしょう。

 

経営の神様・松下幸之助は、新入社員の面接のとき、

 

「あなたは運がいいと思いますか?」

 

と聞いて、「運がいい」と答えた学生だけを採用したと言われてます。

 

生きていれば必ず何かが起こる、それをどう評価するかはその人次第。

 

そこに、価値観や人生観が現れるのでしょう。

 

「今日は運が悪かった」とか「いやなことがあった」とマイナスに受け取るよりは、そこに「幸運の印」がないか、捉え直す方が、ストレスをため込まなくて済むと思います。

 

と思っていても、へこむときはへこむし、気分がマイナスに振れることもあります。

 

いつまでも、マイナスから浮上できない時は、早めに寝てしまうか、手帳またはノートを開きましょう。

 

自分を捕まえて離さないマイナスの感情は、いろんなことがごっちゃになって、混線していることが多いです。

 

何が起きたのか「事実」と、そのことを「どう感じたのか」をはっきりと分けてみましょう。

 

事実そのものに、いいも悪いもないはずですが、こんなことが起きた=最悪、という反応が、光速並みにつながっているのかもしれません。

 

できれば、ボールペンで、色を変えて書いてみてはいかがでしょう。

 

事実はこうだ、と思っていても、その中にすでに「判断」や「評価」が混じりこんでいたりしますから。

 

何が起きたのか、事実は黒で、それに対して自分はどう感じたのか、反応したのかを青で、書き分けてみるのです。

 

一通り書き出したら、見直しをして、事実の中に感情が紛れてないかをチェックしてみましょう。

 

また、自分の受け取り方が、すべて正直に書けているかも確認しましょう。

 

誰に見せるわけでもなく、自分だけに書いているのですけれど、「こんなことを書くのは恥ずかしい」と思ったり、正直な感情を隠したりもしますから、自分って。

 

特にひどい攻撃の言葉なんかがそうで、その時はそう思っていても、後から書くときには、いくらなんでもこんなこと書けないし、その感情は薄れているので、書かなくてもいいか、と自分を見失う方向にずれたりしますから。

 

自分の感情を書き出すのは、時に、意外と難しかったりします。

 

でも、それも鍛錬。

 

何度も書いていると、次第に素直に正直に書けるようになると思います。

 

そして書くことで、マイナスの激しい感情が、おさまるのを感じたり、プラスの面を見つけたりできるかもしれません。

 

いきなりプラスにいかなくても、マイナスが減るだけでも、書いたことの功徳はあったと思い込みましょう。

 

自分の手で書くことには、不思議な力があるのです。

 

もちろん今日の洗濯は、正解です。

 

パンツとタオルのローテーションが守られそうだから。

 

濃い字が好まれる背景に、色黒はっきりさせたい心理がなくはないか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

久しぶりに白米を食べた夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

玄米が炊ける炊飯器だったので、健康のためもあって、玄米を食べてきましたが、ひょんなことから白米を5合ばかりもらったので、数日は白米を楽しめます。

 

とはいえ、外食では白米なので、「うわあ、銀シャリなんて久しぶりだ」とまではいきません。

 

脚気になりませんように。

 

ネットのニュースを見ていたら、小学生の鉛筆の濃さが、この前書いたブログでの2Bを越えて、4Bとか6Bに突入しているらしいです。

 

理由は、書き心地が柔らかで濃い字が書けるから。

 

とある文具屋さんでは、ハイユニの10Bまで用意しているのだとか。

 

「ハイユニ」と言えば、国産鉛筆の最高峰ではないですか。

 

小学生の時、「ユニ」までは買ってもらえたけど、「ハイユニ」は高根の花でした。

 

たぶん普通の鉛筆が1本10円20円の時代に、ユニは50円、ハイユニに至っては100円でしたから。

 

小学生には無用の高級品でしたね。

 

そう言えば、ボールペンの世界でも、インクが濃く出て、濃い字が書ける製品が相次いでいるようです。

 

きっかけは、こちらも三菱鉛筆の「ユニボールワン」。

 

従来の製品よりインクの出る量を増やし、結果濃い字が書けるというわけです。

 

ノートに濃い字で書くと、視認度も上がり、記憶に残りやすいそうです。

 

で、これが大ヒット。

 

そのヒットを受けて、ゼブラのサラサシリーズから、「サラサR」という、ジェルインクのボールペンが新発売になってます。

 

鉛筆も、ボールペンも、濃い字が好まれているのかもしれません。

 

確かに薄くて、ちょっと見ただけでは、何が書いてあるのかわからないノートより、くっきりはっきり書かれてあるノートの方が、見た目にもよくわかるし、記憶に残りやすいということにも説得力を感じます。

 

世の中の流れというか、社会が向かっている先が不透明だからこそ、はっきりした文字が好まれるのでしょうか?

 

少し前までは、ボールペンでは、細字になるほど字が薄くなる傾向がありましたけど、今は大分改善されてきているようです。

 

0.3ミリともなると、インクの出る量がごくわずかで、濃い字にもならないし、インクも詰まりやすいのか、すぐに書けなくなる印象でしたが、今は細字でも十分濃い字が書けます。

 

しかも、鉛筆もボールペンも、書き味も滑らか。

 

シャープペンシルの芯も、これまたユニブランドですが、濃くなめらかにそして汚れにくい字が書けるように、進化しています。

 

色黒はっきりさせる、と言いますが、社会のあちこちで、「一体どうなっているのかよくわからない、はっきりさせて欲しい」案件があまりのも多いので、せめて文字だけでも、あやふやにはしたくない、そんな群集心理が働いてでもいるのでしょうか。

 

あるいは、濃い字を求めるその先に、物事をあやふやなままにしないで欲しいという、人々の願いにも似た希望が、隠れているのでしょうか?

 

いずれにせよ、濃い字を求める気分は、文具界隈では、もう少し続くのではないかと思います。

 

他のメーカーも参入して、さらにノートなどの文具にも飛び火して、濃い字合戦はヒートアップしていくのでしょう。

 

ますます文具から、目を離せません。

 

今日起きたことはすべて「必要なこと」

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

とうとううちの近所でもカエルが鳴き出した夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

田植え真っ盛り!

 

さて、1日の内には、いろんなことが起こっているはずです。

 

良かったこととか嬉しいこと、これといった感情も動かないこと、それから、良くないこと、不幸だと思えることまでいろいろ。

 

もしそれらに何かしらの色付けができたのなら、僕たちの1日はとてもカラフルになるに違いありません。

 

けれどもここで、起きたことを「良いこと」「悪いこと」と判断するのではなくて、どんな些細なことでも「今日という日に必要であったこと」と捉えてみたらどうでしょうか?

 

例えばやる気が出なくて、仕事やお勉強が進まなかった、という時、「今日は調子が悪い」とか「今日はだめだ」などという「評価」をしがちですけど、その「やる気が出なかった」ことが、今日は必要だったのだと受け取ってみたら、何が見えてくるでしょうか?

 

自分の身に起きることは何でも、起きる必然性があったのではないか。

 

だとするならば、最悪とか不幸だと思えることにも、何かしらの存在意義があるはずだ、と考えてみるのです。

 

起きたことをマイナスと捉え、良くないこと、起きて欲しくないことと考えていては、見えるものを曇らしているだけなのではないか。

 

プラスには捉えられないかもしれないけど、起きたということは、やはりそこに起きるだけの意味というか価値もまたあるのではないか。

 

先ほどの例で言うならば、「やる気が起きなかった」という裏には、やる気を出したくない何かがあったかもしれず、あるいは気分的に疲れていたとか、休息が必要だったとか、他にしたいことがあったなら、別のことならやる気も出たかもなど、いろんな存在意義が考えられるでしょう。

 

少なくとも、やる気が起きない自分を責めることはしないほうがいい。

 

けれども往々にして、起きたことに対して、プラスかマイナスかという評価や価値づけを、無意識のうちに、それも電光石火の早業で、下しているのではないでしょうか?

 

あらゆる体の不調の原因は、ストレスだと医学が教えてくれてます。

 

だとするならば、今日何かしらの体調の不良があるのなら、どこかでストレスを感じているのでしょう。

 

そのストレスを大きくしないためにも、「今日頭痛がしている、こんなことではだめだ」などと言わないで、「少し休んだほうがいいのかもしれない」「もしかしたらやり方に問題があるのかも」「自分に向いていないことをしていないか」など、不調の原因を洗い出してみましょう。

 

あるいは、妙に辛いものが食べたくなったとか、甘いものがやめられないとか、また服を買おうとしているなど、行動や感情の背後に、それではない目的があると思います。

 

本当は「辛いものが食べたい」のではなくて、別の、おそらく隠された真実の目的がある、それは人によって違うでしょうし、状況によっても変わってくるでしょう。

 

本当に、単に辛いものが食べたかったという場合だってあると思います。

 

要は、どれだけ自分と対話しているか。

 

自分って、時には自分を欺きますから、本当は何を求めているのか、きちんと向き合ったほうがいいでしょう。

 

体や心が、悲鳴を上げていることだってあるのですから。

 

欲しいものを書き出してみよう、でもあのビル・ゲイツはしないと思うけど

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

久しぶりに牛肉を食べた夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

能登牛の牛肉盛り合わせ弁当みたいな素敵なお弁当をもらって、牛肉を堪能しました。

 

人類は、お肉を食べてた時期の方が長いので、肉食もたまにはいいよね。

 

歳をとったらたんぱく質を多くとる、とも言いますし。

 

肉食、鬱の改善にも、効果ありだとか。

 

おなかがすいている時間も必要らしいので、何も食べない時間を多く持てば、1食を肉食にしても大丈夫でしょう。

 

でもまあ、あれこれ健康にいいのか悪いのか心配しながら食べるよりも、食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べると、たぶんメタボで死にそうです。

 

人間の欲には限りがない。

 

その限りのなさを、書くことで、コントロールできるかもしれません。

 

たまに野帳に書きこむのですが、今月の生活費と、自分がしたいこと、買いたいもののリストを。

 

手元にあるお金と、生活費、そして自由に使える金額。

 

ある意味、見たくない現実かもしれませんけど、後で泣きを見ないためにも、必要な手続きだと思います。

 

使えるお金が潤沢にあって、欲しいものを欲しいときに欲しいだけ、しかも値札を見ないで買えるのなら、お財布と相談など必要ないかもしれません。

 

先ごろ離婚を発表した天下の大富豪、ビル・ゲイツくらいになると、これ買おうか我慢しようか来月に回そうかなんて思案に暮れることもないのでしょうけど。

 

使えるお金の限界がいつもすぐそこの僕などは、お財布との相談が欠かせません。

 

それを、頭でやっているとぐるぐる回るだけなので、コピーの裏紙などでなく、ちゃんとした紙に書き出して、「作戦会議」の議事録も、残しておいた方が後々参考になると思います。

 

欲しいものも、具体的に書き出していくと、今それほど必要か?といったブレーキがかかることもあります、経験上。

 

必要だと思っていたけど、「今」じゃなかったり、来月でもいいと思えたり、代わりのものをもう持っていたことを思い出したりと、どこか冷静になれるようです。

 

書き出すことは、、クールダウンなのです。

 

また、書き出すことで、自分の傾向が見えてきたりすることもあります。

 

本当に欲しいのか、単なるストレス解消なのか、何かしらの「見栄」なのか。

 

そういうところに気がつければ、事前に調整も可能でしょう。

 

無駄な出費を抑えられる可能性大です。

 

買い物欲だけでなく、自分が持ついろんな欲を吟味して、これは自分にとっていいことをもたらしてくれる欲になるとか、逆に、この欲を野放しにしておくと身の破滅を招きそうだといった欲を峻別して、毎日の生活に役立てることができるでしょう。

 

この欲を我慢する代わりに、こっちの欲は解放しようという、欲の交換会も自分の内側でなら、開催することも可能でしょう。

 

ガマンすれば、逆にふくれあがる欲もありますし、気がつかないうちに肥大化している欲だってありそうです。

 

例えば食欲に、自覚なく引きずられていくと、危険なうえに引き返せない事態にまで進んでしまうことだって、ないとは言えません。

 

自分が普段から、どんな欲でドライブされているのか、果たして自分は自分という車のハンドルを握っているのか。

 

自分の人生の主導権を握っているのは誰なのか、ノートに書き出すことで、見えてくるものがあると思います。

 

それにしても、ビル・ゲイツの離婚にはびっくり。

 

「金の切れ目が縁の切れ目」、じゃないよね、あの人たちの場合は。

 

書き終えた野帳と新しい野帳に施す儀式

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

公園は人でいっぱいだった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

朝、車が少ないと思ったものの、とある公園は家族連れを中心ににぎわってました。

 

金沢でも輪島でも、観光客が多いそうで、感染の広がりがなければいいけど、とどうしても思ってしまいます。

 

さて、メモ帳の究極の姿の一つがコクヨの『測量野帳』「スケッチブック」だと信じて疑いません。

 

昨日、1冊書き終えたので、いつもの交代の儀式をしました。

 

表紙の右上の端っこに、2.5センチ×4センチぐらいの白のラベルシールを貼ってます。

 

そこに油性ペンで、使い始めの日付を書いて書き始め、最後まで書き終えたら、使い終わりの日付を書き込んでます。

 

昨日書き終えたのは、使い始めが、4月16日でした。

 

で、5月3日に書き終えたので、使ってた日数は18日。

 

ラベルにも、使い始めと使い終わりの日付の間に18を書いて丸で囲みます。

 

これが、「終了しましたよ」の作業です。

 

新しいほうの野帳にもラベルを張って、西暦年と使い始めの日付を書き入れます。

 

それからおもむろに、ページを開いていくのですけど、使い始めの野帳は、背の部分が硬いので、ほぐしていきます。

 

具体的にどうするのかというと、ページを広げていくのです。

 

1枚1枚、ゆっくりと、180度開き、さらに、これが野帳の特質でもあるのですが、ページをそのまま裏側にほぼ360度めくれるのです。

 

なので、1枚1枚360度めくって、表紙と裏表紙をくっつけます。

 

この時、背の部分をしごいたりします。

 

それを、40枚80ページもれなくするのです。

 

こうすることで、糸で綴じてある背の部分が柔らかくなり、ページを180度広げたり、360度折り返すようにめくったりがたやすくできるようになるのです。

 

なんてったって野帳は、フィールドノート、屋外でラフに使うことを想定して製本されてます。

 

なので、背の部分をしごいても、くたくたになることはあれども、糸がほつれたりとかのトラブルはありません。

 

この丈夫さも、野帳の特質といっていいでしょう。

 

しかも、180度開いてみて驚くのは、左右のページの横線がぴったり来ていることです。

 

「スケッチブック」の本文は3ミリ方眼。

 

かなり小さいです。

 

その横線が、糸綴じ製本なのに寸分の狂いもなく、左右のページの横の線が、1本の線になっている。

 

職人芸ここに極まれり、といった感じです。

 

なので、見開きで1枚の紙のように書けますよ。

 

少し小さいけど、マインドマップにも応用できます。

 

さて、こうして背をくたくたにして、書き始めるのですが、最初の1枚には何も書かず飛ばします。

 

これは、最後まで書き終えて、でもまだ書かなければならない時の予備として取って置くのと、後で「索引」を作るためのものです。

 

ですから書き始めは、2枚目からにしています。

 

書き出しの文句は毎回同じです。

 

日付けを書いて、書き始めの場所を記すのです。

 

何月何日、どこそこにて書き始める。

 

この文言は毎回同じです。

 

ただ日付と場所が違うだけ。

 

ここまでやってから、野帳のメモが始まるのです。

 

こうした儀式も、慣れてしまえば、さほど煩わしくもありません。

 

逆に、これがあるからこそ、気分も一新して、新しい野帳に向かえるのです。

 

野帳の本文は40枚80ページ。

 

決して多くはないこのページ数だからこそ、1ヵ月に一度は、書き終えたなあという達成感を味わえるのです。

 

それもまた、野帳の魅力なのかもしれません。

 

ためらわず、すぐに書けるメモ帳が優れたメモ帳

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

田んぼに水が入れられてカエルが鳴き出した夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

5月は、田植えの季節。

 

早い田んぼはもう苗が植えられてます。

 

水が張られた田んぼは、夜になると、近くの街灯や民家の明かりを反射して、幻想的な雰囲気になったりします。

 

カエルの合唱も、これからが本番です。

 

両生類は、水陸両方に生きるので、環境の変化を受けやすい生き物なのだそうです。

 

なので、今年も元気に鳴き出したカエルを、愛おしく思います。

 

世界的には、どんどん絶滅しているようなので、わが国では、何とか生き延びて欲しいものです。

 

一時期、水田不要論なんて議論がありましたけど、水田は米を育てるだけでなく、国土保全や気温の調整、カエルや昆虫など、様々な生き物を育てているゆりかごのようなもの。

 

経済効率だけでは測れない価値を有しているのです。

 

測れない価値といえばメモ。

 

中には、用が済めば破って捨ててしまっても構わないメモもありますが、そのメモをさらに膨らませて、仕事に生かすとか、生活を改善するとか、何かと活躍するメモもあるのです。

 

日常の、しなければならないことを本人に代わって覚えておいてくれるメモ。

 

今抱えている仕事の案件で、画期的な、あるいはそこそこの解決策や提案につながるメモもあるでしょう。

 

さらには日常の生活を見直したり、さらに快適にしてくれるメモもあることと思います。

 

頭の中で渦巻いていることを紙に書き出すことで、毛糸が絡まったのをほぐして一本にするがごとく、混沌としていたことがらに、はっきりとした解決への1本道が見えてくることもあるでしょう。

 

メモの要諦は、とにかく書き出すこと。

 

「こんなことを書いてもなあ」と思えるようなことでも、また、「これと似たようなことを前にも書いたぞ」と躊躇することでも、とにかく書いて、ということはつまり、手を動かして、書き続けていると、脳の中で思わぬ発火が起こり、それまでとは違うアイデアが出てくるものです。

 

買い物リストを書き出して、そのすぐ後に、何かしらのアイデアが浮かんだらそのまま書きとめればいいのです。

 

メモを分けないで書いたほうが、ひらめきを記録しやすいでしょう。

 

今書いているのはToDoリストで、たった今浮かんだのは前から何とかしたかった問題への解決策、だからここには書けないけど、思い付きをメモするノートはどこだっけ、なんて迷ったり探している間に、当のアイデアは消えてます。

 

僕も、書きながら浮かんだアイデアをいったいいくつ闇に葬ってきたことでしょう。

 

よくレストランでメモ紙がなかったからナプキンに書いた、というのは大正解なわけです。

 

メモの要諦は書き出すこと、それに加えて、浮かんだら何にでもいいから書くこと。

 

メモの種類によって、メモ帳などを分けるのは、よっぽど余裕のある時にしましょう。

 

それよりも、メモだけは、何を書くかはどうでもいいから、時系列で1冊集中がいいでしょう。

 

何でもありのメモ帳を、ペンと一緒に携帯して、すぐに開いて書ける体制を取っておくことは、今の世の中を生き抜くための基本であると思います。

 

なんでもこれに書く、と思ったら、お安いほうが何でも書けますよね。

 

1冊数千円もするとか、数万円とかになると、書く前から何を書くのか、厳選してしまいますから。

 

そして書いたメモが紛失しないように、1枚1枚の紙ではなくて、ノートのような冊子になっていたほうがいいでしょう。

 

安価で冊子、携帯にも優れると言えば、コクヨの「測量野帳」スケッチブックを置いてほかにありません。

 

メモは野帳にとどめを刺す。