国語は急に入れない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

国語という科目の特殊性、について考えてみよう。

 

てらぴーは、教える側の人であった。

 

主に学習塾で。一年だけ私立高校で教えたことがある。

 

教える側から見ての国語はどのような科目であるか。

 

高校受験での受験科目五科の中で言えば、国語は、「すぐに代わりには入れない」科目である、と言えるのではないか。

 

例えば、学習塾で授業をする。

 

その時、担当の先生が、直前あるいは授業が始まってから、「緊急事態です。授業を代わってください」と言ってきたとしよう。

 

国語以外の科目であれば、同じ科目で、3年以上の経験がある先生ならば、予習をしていなくても、代講が務まる。

 

ところが、国語となると、何の準備もしていなかったら、おそらく授業はできない。

 

単元が、文法とか古文であれば、何とかなると思うけど。

 

実際にある大手塾に勤めていたころ、授業が始まってしばらくしてアルバイトの講師が「ちょっと代わってくれませんか」と言ってきたことがあった。

 

おなかの具合が悪いらしい。

 

その時たまたまてらぴーは事務室にいたのだ。

 

担当の教科は社会であった。

 

その年度は担当していなかったが、社会も守備範囲である。

 

「今日はどこ?」とカリキュラムだけ聞いて授業に入った。

 

単元が「奈良時代」であれ、「北アメリカ」であれ、教えることは決まっている。

 

導入であっても、問題演習であっても、何を説明しなければならないかが分かっている。

 

こういった事情は、英語でも数学でも理科でも同じだろうと思う。

 

ところが、国語ではそういうわけにはいかないのだ。

 

同じ学年を受け持っているのならまだしも、初見の文章で、本文の内容説明や設問の解説となると困難を極める。

 

例題レベルの短い文章ぐらいなら、何とかなるかもしれない。

 

その文章が「説明文」であれば、説明文の読み方あたりを復習しつつ内容の読み取りとかを講義して、生徒に問題を解かす。その間自分も必死になって問題を解く。(笑)

 

しかし、これが、「入試問題」のような長文でしかも、宿題になっていて、問題の解説からスタートだったら、まず無理。

 

ごめん。ちょっと本文読ませて、とか、問題文を一緒に読むというか確認する時間が必要だろう。

 

これが、英語なら、たとえ長文でも、すぐに解説に入れるのではないか。

 

数学にしたって、「ああ、この問題ね。」というふうに、一瞥してすぐに解法が分かるだろう。

 

中学レベルであれば、入試問題でも、どうやって解くのか見当もつかない難問はまずないだろう。

 

理科や社会でも、同じことだ。

 

けれども、国語は、長文を読んでおかないと授業などできない。

 

もちろん、手慣れてくれば、問題を読みながら説明していく、という手も使えるが、もたもたした授業になるかもしれない。

 

問題の解説も、正解に至るみちすじの解説や、選択問題における正解以外の選択肢の説明、なぜその選択肢は正解足りえないのかを本文に依拠して解説することなどが、なおざりにされるだろう。

 

少なくとも、てらぴーにおいては。

 

ただ、きちんと予習がなされていれば、国語の授業はとても面白いものだ。

 

授業もそうだが、授業準備もまた面白いのだった。

 

本文を読みながら、あるいは問題を解きながら、授業のシミュレーションをする。

 

問題文の出所を調べて(たいてい本文の最後に出典として明記されている)、その本に当たったり、同じ著者の別の本を見たり、同じテーマの、別の著者による本を探したり。

 

そこまでいくと、どの科目でも同じかもしれないけど。

 

特に国語は、教える側も予習が大切なのだ。