1杯のコーヒーにこれまでの歴史と世界中の人たちが関わっている

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

てらぴーは、コーヒーが大好きだよ。

 

と言っても、飲まない日もあるし、飲まなくても平気ではあるので、中毒にはなってないと思う。

 

カフェインに弱いのかなあ。

 

飲まなくても平気とは言うものの、やっぱり生活には欠かせません、コーヒーブレイクが。

 

味が分からないくせに、淹れ方にはポリシーを持ってます。

 

豆は、熱を発生させないセラミックのミルで挽くとか、ペーパーで淹れるときは、まず最初にペーパーをお湯でぬらすとか。

 

以前は金メッキのフィルターを使ってました。

 

今も、コーヒーメーカーは、金メッキのを愛用してます。

 

 

東京に住んでいたころ、通勤に使っていたのが荻窪駅

 

その駅前から、10分ほどでしょうか、少し歩いたところに、コーヒーの豆屋さんがあったのです。

 

確か、店名が「ビーンズ」。

 

このお店のすごいところは、生豆を選んで、その場で焙煎してくれるところ。

 

もちろんその時に、焙煎の具合もリクエストできます。

 

このお店で初めて「ケニア」を知りました。

 

ベトナムのコーヒーにあこがれて、フレンチローストで頼んでました。

 

今は東京を離れてしまいましたが、活動エリアに2軒ほど、豆屋さんがあります。

 

そのうちの1軒は、農園単位で仕入れているらしく、今飲んでいるのは、偶然にもケニアの「ルシャガイ農園」と書いてあります。

 

ただの「ケニア」より「はるばるようこそ」って感じが募ります。

 

そうなんですよね、コーヒー豆って、どこかの工場で作っているのではなくて、農園で栽培されているんですよね。

 

でも、農園だけではだめで、コーヒーが、産業として成り立っていないといけない。

 

いきなりケニアで、「こんな豆ができました。炒って粉にしてお湯かけて濾して飲んだらうまかったです。」

 

「おお、これ売れるんじゃね?」

 

なんてことないでしょ?

 

コーヒーは、産業として成立しているので、それなりの歴史があります。

 

ということは、この1杯のコーヒーがここにあるためには、それまでの歴史が必要だったわけです。

 

今いる栽培者だけではない。

 

はるかかなた、ケニアからやってくるためには、輸送の仕組みも成立している必要がある。

 

この豆を二ホンという国に届けてもらいたい。とか言われて、

 

どこにあるんです?でもまあ預かりましょうか。

 

というレベルの知識やら輸送体制だったら、届いてなかったかもしれない。

 

それから、コーヒーを飲むための器具とか、それらにも、いちいち歴史があり携わった人たちがわんさかといるのです。

 

携わった人たちばかりではありません。

 

その人たちが、継続的に仕事を続けるためには、ほかの社員とか、何より家族が必要でしょう。

 

コーヒー産業に従事している人たちとその家族のために、衣食住という生活基盤が欠かせません。

 

そうやって考えていくと、目の前の1杯のコーヒーのために、ほとんど世界中の人たちが、しかも過去の人たちも含めて関わっている。

 

こいつはすごいものを飲まされている。

 

確か、小学4年生の国語の教科書に載ってた、「いっぽんのえんぴつから」という文章が、似たような内容でした。

 

1本の鉛筆にどれだけの人がかかわっているかを3人の人を取り上げて説明する文章でした。

 

鉛筆に使う木を切る人。

 

鉛筆の芯を作るのに使う黒鉛を掘り出す人。

 

そして、日本で鉛筆を作る工場で、鉛筆に色を塗る人。

 

すごいね。ものを通して、つながっているね。

 

そのつながった人たちがこれからも、穏やかに生活していけますように。

 

平和じゃないと、おいしいコーヒーも味わえないよ。