手書きするから手帳は楽しい

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

今のお子様方は、「デジタルネイティブ」なんですってね。

 

それもかなり前から。

 

なんだか羨ましくもない、でも。

 

どんなにデジタルが発達しようとも、手書きは廃れないだろうと思ってます。

 

ていうか、廃れさしてはならない。

 

もしかしたらそのうち、頭に電極みたいのをつけて、思っただけでモニターやディスプレイに、文字や図・イラストなんかが表示されるようになるのかもしれない。

 

それでも、何かしらの、「手を動かすこと」というのは、無くならない気がします。

 

てらぴーの希望的観測込みで。

 

手を動かして考えるというのは、ヒトに備わった本能のようなものだと思うから。

 

それに、なんたって、手書きは楽しいじゃないですか。

 

手書きだけではなく、手を使って色を塗ったり、シールなんかを貼ったり、マステを引き出してちぎったり、付箋を移動させたり、それらの作業のいちいちが喜びにあふれるものだって、大げさ?。

 

聞くところによると、皮膚には皮膚に備わった「考える力」があるのだとか。

 

それゆえ、皮膚を「第2の脳」と呼ぶ研究者もいるそうです。

 

山口創(はじめ) 『子供の「脳」は肌にある』など、一連の著作を参照。

 

ということは、皮膚が何を感じているか、何に触れているかということが、その人の考える力とかその人の知性に、何かしらの影響を与えているのかもしれないってことですよね。

 

おそらくは、皮膚を動かしたりさわったりというときの、感覚の入力が大事なのでしょう。

 

手帳を持つとか開くとか、筆記具を触るとか、取り出すとか、握る、書く、つまむ、引っ張る、貼る・・・。

 

「手帳に書く」という作業一つの中に、数多くの動作がある。

 

そういった皮膚感覚や動作の入力もまた、脳に刺激を与えているのでしょう。

 

 一方で、スマホなどのデジタルデバイスの発達で、文字などを書くという経験は減ってきているのではないでしょうか?

 

手書きで板書せず、スマホで黒板あるいはホワイトボードなどを撮るというのも、特別な光景ではなくなりました。

 

確かに、字を書くのはめんどくさかったり、しんどかったりします。

 

小学生の頃の、宿題の定番、「新しく習った漢字をノートに1行ずつ書くこと」は苦行でした。

 

だが、果たしてそれでいいのか。

 

「言葉の生活」と言いますが、いまじゃあ、指一本で済ませられる時代です。

 

他者とのコミュニケーションも、自分のスケジュール管理なんかも、もしかしたら仕事も。

 

タブレットスマホなど、画面をタッチすることでできることがもっと進んだら、生活のあらゆることが「画面にタッチ」で済むようになったら、自分の名前を漢字で手書きしたことのないお子様が出現なさるかもしれない。

 

「手書き」できることが、伝統工芸入りするかも。

 

そうなったら、「最後の手書き職人」とか出てくるのかなあ?

 

自分の手で、ペンを握って「書く」ことがなくなったとき、どんな世界が、その子の頭の中に広がっているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、映画『マトリックス』に出てきたような、数の列?