コーヒーの、ちょっとしたこだわり
こんにちは。
てらぴーだよ。
以前、何かで読んだお話。
文化人類学の調査隊が、ニューギニアかどこかで調査を終えて、帰ろうという日の朝。
コーヒーを淹れて飲んでいたら、村の長老がやって来て珍しそうに見ているので、
「飲みますか?」
と言ったら、こう答えたそうな。
お前さんたちが飲んでいるのだから、さぞかしうまいものなのだろう。
じゃが、それを今飲んで気に入っても、お前さんたちが帰ってしまえば、わしらには手に入れるすべがない。
だから、飲まないほうがいいのじゃ。
この話を読んだときに、しばし、考え込んでしまいました。
なるほど、一理あるなあ。
確かに、「こりゃ、うまい」と好きになっても、その後手に入らないものならば、知らないほうがいいのかもしれない。
その一方で、そこまで禁欲的にならなくても、とも思いましたけど、手に入らないものに恋い焦がれてもむなしいだけだしなあ。
コーヒーの味を覚えて、好きになって、いくらでもとは言わないまでも、飲みたい時に欲しいだけ手に入る、それはそれで幸せなのかも。
下手に、ゲイシャとか、コピルアックとかに魅了されなくて、よかった。
コーヒー、好きだけど、中毒にはなってないので、健全です。
ただ、スーパーなどに売られている、いつ焙煎されたのかわからない豆は、買わないようにしています。
それに、粉も。
それが、贅沢な楽しみかな。