帰って来て、ちょっと感傷的
こんにちは。
てらぴーだよ。
東京から帰って来て、日常に戻りました。
日本列島を横断しました。
太平洋側から日本海側へ。
考えてみたら、これはこれですごいよね。
端から端へなので。
東京では、もう葉桜で、花見も終わりかなといった風情でした。
でもこちらは今が見ごろ。
帰ってきた日の朝に、虹まで見ちゃって、得した気分です。
人は1年に何回ぐらい虹を見るのでしょうか?
要は自然現象なのに、そこに価値を求めたりしますよね。
なんかいいことがあるとか、幸せになれるとか。
月光による虹とか、夜に見える白い虹とかあるようです。
いつか見てみたいものだ。
夜になると、ふと、今頃花園神社で、水族館劇場の芝居がなされている時間だなあと思ってしまい、なんだか不思議な気分です。
量子力学の本か何かで読んだのですが、月を見ていないときに月は出ているか?という問いかけがあるそうです。
電子は原子(と中性子)の周りをまわっているけれど、観測していないときは、その正確な位置はわからない。
観測して初めて位置がわかる、ということだそうです。
なので、見ていないときに、月はない、ってこと?
月を見たときに月は現れる。
なんだかややこしい。
でも、てらぴーの誤読かも。
ただ、今自分がここにいて、でも新宿では、あのお芝居をやっている。
それが今日は、なんだか不思議な感じがしている、それだけ。
スピリチュアルな本とか、仏教の書などに、あるのは今ここだけ、という話がよく出てきます。
過去は過ぎ去ってもうここにはない、未来はまだ来ていないのでない。
確かにそれはわかりますけど、過去はあったじゃないか、過ぎ去っただけで、未来だって、まだ来てはいないけど、今の延長で来ると信じている。
「貸した本を返して」と言われて、過去はないんだから、ということはできない。
「今週末に、ご飯食べない?」と言われて、未来はないので約束できない、ということもできない。
時間がないと言われても、生活実感からは納得できない。
芝居の上演期間であれば、上演時間にあの芝居は演じられているだろうと考える。
一切は空、と言われても、生活できないよ。
過去った時に執着して、あれこれ考えていたりとか、未来のことについて、あーでもないこーでもないと考えていたりとか、今ここに集中していないのはよくない、という話なら分かります。
それでも、昨日は新宿にいて今日はいない、そのことが何だか不思議。
時差ぼけみたいなものでしょうか?
また、旅に出ようとしている自分がいます。
やっぱり長い距離を移動するのって、楽しい。
刺激ありまくりですよ。
さて、どうなりますことやら。