死を考えたら生きたいと思う

Mさんへ。

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

突然ですが、「死」について、考えたことがあるかな?

 

それも、自分の死について。

 

人間は、生まれたからには、死亡率100パーセント。

 

誰も、逃れることはできない。

 

しかも、いつやってくるのかわからない。

 

ということを知っていながら、僕たちは、普段あまり意識はしていない。

 

違うかな?

 

でも、意識しすぎるのも、おかしな話ではあるよね。

 

交通事故にあって死ぬのが嫌だから一切外出はしない、ということになったら、生活なんてできない。

 

これは食べてもいいのか、寿命が縮んだりはしないのか、悩んでいたら、かえってそのストレスで寿命が縮みそうだ。

 

とはいえ、あまり暢気に構えないで、ここでひとつ、自分が死ぬことについて、考えてみよう。

 

例えば、神様か悪魔が、今日の夜にでも、あなたの枕元なんかに現れて、

 

 

 

ごめん、お前の寿命、今日限り。

さ、行こうか。

 

 

と言ったとしたら、どうする?

 

あせるよね。

 

そして、たぶん、こんなことを言うんじゃないかな。

 

「え?ちょっ、ちょっと待ってください。今ですか?なんで今なんですか?」

 

死は、待ってはくれない、というか、いつ来るのかがわからない。

 

そして、死は、順番には来ない。

 

80歳のお年寄りだけど、さらに10年生きる人もいれば、20歳になったばかりで、死を迎える人もいる。

 

自分は何歳だから、「平均寿命」から考えても、後これくらいは生きられるな、というのは、何の根拠も保証もない。

 

で、その時表れた、悪魔か神様は、話の分かるお方で、

 

「待てっ言うけどさ、後何年待てばいいの?」

 

と聞いてきたら、なんて答える?

 

10年?20年?それ以上?

 

とにかくあと何年か、答えたとしよう。

 

そうしたらさらにこう聞かれた。

 

「どうしてその年数が必要なの?その年数で何がしたいの?」

 

いつ死んだって、人は後悔する。

 

その後悔は、「もっとあれこれやっときゃよかった」ということらしい。

 

だから、たとえ、寿命が与えられても、ただ生きていくだけ、というのでは、満足のできる生涯にはならない。

 

自分の死を考えることの意味は、ここにあると思う。

 

つまり、なにがしたいのか。

 

それはなぜなのか。

 

もちろん寿命だけでなく、お金なんかも有限なのだから、「毎年世界1周する」なんてのは、現実的ではない、それに、そんなに毎年世界1周したいものだろうか?

 

はじめはいいとしても、3年目あたりになれば、飽きてくるんじゃないか?

 

今、とか次の瞬間に、死を迎えるというのも、現実的ではないけれども、明日、死を迎えるとしたら、あなたは何に後悔するだろう?

 

そして、それはなぜだろう?

 

ぜひ、そのことをノートに書き出してみてほしい。

 

今日中に。(笑)

 

死は不吉なことではない。

 

死があるからこそ、生が意味を持ってくる。

 

不老不死になったら、たぶん夢を持つことはない。

 

ではまた。