かつて戦争は、プロレスであった
こんにちは。
てらぴーだよ。
プロレスは親日一択、のてらぴー。
馬場猪木で、育ってきたようなものだから。
さて、いわゆる戦争って、かつては、プロレスみたいなものだったのでは?と思うに至りました。
プロレスと戦争の共通点って?
格闘系ではあるものの、一方は確実に殺しちゃうけど、それが同じとは?
説明しましょう。
戦争は、他なる殺し合いではなかった。
戦争って、主に、ヨーロッパで発達したと思ってます。
以前、YouTubeで、人類のこれまで起こった戦争を世界地図上に「炎のマーク」でチェックしていく、というのがあって、見てたんですが、ヨーロッパ、戦争しすぎ。
同時代、アフリカアジア、それにアメリカ(大陸)は、あんまり炎が上がってません。
残された文字資料が少ないとか、そもそも文字を持たなかったといった事情もあるのでしょう。
歴史研究が、欧米などに比べて、進んでいないということもあるでしょう。
でも、それにしても、ヨーロッパの歴史って、戦争だらけ。
でも、そのおかげで?、「戦争のルール」みたいなことも生まれたのでしょう。
まず戦争は、兵士が行うものであった。
そして、戦場で行うものであった。
これがプロレスだと、プロレスラーとリングになるわけですね。
プロレスは、(ちゃんとした訓練を受けた)プロレスラーが、リング上で行うもの。
戦争は、(ちゃんとした訓練を受けた)兵士が、戦場で行うもの。
プロレスの場合、場外乱闘がありますが、それはあくまでもイレギュラーなこと。
観客を巻き込んではいけません。
観客を痛めつけても、勝ち名乗りは上げられません。
戦争だって同じ。
戦場以外で戦うことは原則としては、なし。
それに、日本でも、いくら戦争とはいえ、いわゆる「農繁期」に戦闘はできませんでした。
兵士たちも、農作業に忙しかったからです。
たぶんこの辺の事情は、ヨーロッパでも同じでしょう。
つまり、戦争は、期間限定でしか行えないものだったのです。
たとえば、天下分け目の戦い、関ケ原の戦いで、石田三成の軍勢が、1部戦場を抜け出して、家康の城下に乱入して、女子供、それにお年寄りを皆殺しにするとか、そんな作戦がありえたのでしょうか?
たぶんなかったというか、それはタブーだったのではないでしょうか?
つまり、そこにルールがあった。
そのルールに従って、兵士たちによる戦場での時期を限った戦闘、つまり戦争が行われた。
非戦闘員は、巻き込んではいけなかった。
それに、「最後の一人になるまで戦う」といったおよそ現実離れした「玉砕」も、なし。
ところが、こうした戦争が、戦争観が、がらっと変わってしまった事態が、ヨーロッパで起こります。
それが、第一次世界大戦。
いわゆる、総力戦です。
プロレスでいうと、観客も巻き込んで、観客を攻撃してもいい、となったのです。
これがどんなにめちゃくちゃなことか。
でも、そのめちゃくちゃを新しい戦争として、欧米は受け入れた。
一方で、ルールも持とうとした。
それが、例えば、毒ガスの禁止。
でも、戦争って、「殺し合い」のはずだから、本来何でもあり。
そこに、この兵器は残虐すぎるから使わないようにしよう、とする心理が今ひとつわかりません。
国際条約でいくら取り決めても、「もう破れかぶれだ」なんて思っちゃったら、使う国や指導者は出てくるよね。
その代わり?無差別攻撃、例えば、住宅地への空爆はありにされたまま。
ルールのある戦争というのも、おかしな話。
やりたいんだったら、やりたい指導者とかじじいどもが、山の中かどこかで、気のすむまで殴り合ってればいい、素手で。
こんなこと言ってもどうかなとか思うけど、かつて、飛行機による空中戦なんて、のどかなもんだったらしいです。
翼が上下に二つある複葉機の時代。
敵機と一戦相まみえたとき、弾が無くなってしまったら、どうしたと思います?
翼を「✖」の字に揺らして、お互い別れたのだとか。
でも、戦争であることには変わりない。
国と国との戦争は、一つの紛争解決手段であるなんて、欧米に毒されてませんか?
戦争があることを前提に物事を考えるのではなしに、戦争ってなくてもいいんじゃないと相対化すること。
欧米化を離れて見てみましょうよ。