読書って、食事
こんにちは。
てらぴーだよ。
腹いっぱい食べても、どうせおなかがすいてしまう、といった理由で、ご飯を食べるのをやめる、あるいは、食事に意義を見出さない人はいないでしょう。
体の成長のために、そして、健康を保つために、毎日の食事は欠かせません。
年取って、ほとんど新陳代謝が行われなくなっても、バランスよく栄養を取り込むことは、病気にならずに生きていくための、義務のようなものです。
食事と同じく、読書だって、体ではないものの、頭とそして心の栄養となりえます。
したがって、できるなら毎日、本を読んで、栄養補給をしたいものです。
食事には、どんな栄養素を取り込むのか、バランスも重要視されます。
中心となる栄養素には、炭水化物・脂肪・たんぱく質などがあり、ビタミンや食物繊維なんかにも、気を配る必要があります。
それぞれの栄養素が、体の中で働く性質が違うからです。
それらの摂取量に、あまりに厳格になる必要はありません。
それはそれでストレスとなって逆効果にもなるでしょう。
また、おいしくいただくということも、大切な要素です。
いくら栄養があるからと言って、いやいや食べていたのでは、満足感も得られないでしょうし、健康からも遠ざかるでしょう。
本を読むという行為も、同じです。
本には、いろいろなジャンルがあり、頭と心のどこに働くか、異なることがあります。
知識を与えてくれる入門書や雑学的な本もあれば、心に響く、人生の指針となる本もあります。
食べ物と違うのは、栄養素が固定していないことです。
ある本が、人によっては、異なった効果というか影響を及ぼすこともあるでしょう。
この本は、こういうジャンルだから、と思って読み始めたけれども、意外な読後感を得た、ということもあるでしょう。
昔は「小説」として読んだけど、年月が経って読み返したら、単なる小説であることを超えて、「座右の書」つまりは、かけがえのない心の栄養となったという経験をすることもあるでしょう。
エンターテインメントな小説の中に、今の自分にぴったりのフレーズを見つけて、ちょっと踊ってみたという経験が用意されていたりもするのです。
逆に、タイトルや著者名から、期待をして読んだのに、映画1本分の満足も得られなかった、ということだってあるのです。
なぜ本を読むのか。
その理由は一つではありません。
ご飯を食べる理由を一つに絞れないように。
珍しい食材が、そのことだけで、おいしさを保証しないように、本というものもまた、読んでみない限りは、その「栄養素」が分からないのです。
読書と食事の違いは、読書では、食べ残すということが、悪癖ではないということです。
箸をつけたのに食べ残すというのは、みっともないことだと思われていると思いますが、こと読書に関しては、つまらなかったら閉じるというのが原則です。
その本から、「栄養」を感じられなかったら、読むのをやめて次に行く。
それもまた読書のダイナミクスなのです。