誕生日も、冥土の旅の一里塚
こんにちは。
てらぴーだよ。
今日、お誕生日なのだった。
「正月は、冥土の旅の1里塚」なんて言いますけど、その人の誕生日のほうが、1年の区切りとしては、その人の心に強く響くのではないか、なんて考えてもみました。
結構な齢を重ね、てきた、はず、なのに、成長したなあ、という感慨が、まったく、ない。
最近、20代30代の頃のことをシリーズで思い返しているせいで、なおさらなのかもしれないです。
高校生の頃、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』というナンセンスギャグの漫画が流行ってました。
この漫画のハチャメチャぶりが、高橋源一郎の小説を理解する補助線になるでは、と思っているのですが、それはまた別の話です。
『マカロニほうれん荘』は、学園ドラマで、主人公は3人。
沖田そうじこそ15歳なのですが、同じく主人公のひざかた歳三は落第してて25歳、これまた主人公のきんどー日陽は40歳なのでした。
新選組の3人から名前が付けられているものの、新選組とは何の関係もありません。
さて、高校生のてらぴーは、40歳は言うに及ばず、「トシちゃん25歳」の25歳というのも、まったく実感が持てないのでありました。
自分の25歳というものが想像できない。
その時は、高2にはなっていたと思います。
けれども、この漫画を読むたびに、25歳とか言ってるけど、はるかかなただなあ、とぼんやりと考えるばかり。
なにしろ、実感が持てないのですから、ぼんやり考えるしかなかったのかもしれません。
大学へは進学しようと思っている、その準備(受験勉強)もしている。25歳というと、大学を出て就職しているのか、どこで、どんな仕事についているのか。
まったくイメージできていなかった。
つきたい仕事や分野がはっきりしていなかったのだから、それもまた当然ではあったのでしょう。
翻って、今はどうか。
さすがに、ぼんやりとしたものではありません。
けれども、老いやそれに伴う死というものが、身近にはなりました。
若い頃って、不死身でしょう。(笑)
はたち前後なんて特にそう。
不死身だから、20代はこうして、30になったらこんな風で、で、40ではこうなっている、などという、根拠のない人生設計が組み立てられもするのですね。
でも、考えてみたら、今だっておんなじはず。
死は、平等に訪れます。
決して順番ではない。
死の訪れがいつなのか、分からないだけにいろいろと不安にもなるし、対策を講じたりもするのでしょう。
生まれたからには、死亡率100パーセント。
けれども、死ぬのは1回きり。
だったら、覚悟を決めて、自分の人生を全うする方向で生きたらいい。
いつ死が訪れても、後悔はするでしょう。
けれどもその時に、自分がどこを向いていたのか、不本意な生を送っていたのか、充実した毎日だったのか。
自分のエネルギーをどこに向けていたのか、その方向と力が、途中で倒れることになったとしても、満足感を与えるのではないでしょうか?
とりあえず、「一里塚」を楽しむとしますか。