書くことは、マインドフルネス

Мさんへ

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ノートを広げる。

 

A4のノートならA3の白い世界が広がる。

 

ノートに向き合うことは、実に自分の感情に向き合うこと。

 

今自分は、どのような気持ちでいるのか。

 

内面へ、降りていくのだ。

 

そして、感情をトレースして、書いてみよう。

 

感情は、移ろいやすい。

 

すぐに次の感情がやってくる。

 

けれども、さっきまでの感情は無くなった、というわけではない。

 

心のどこかに、蓄積されている。

 

機会を狙っているかのように、いつかまた顔を出す。

 

怒りっぽい人は、怒ることによって、ますます怒りやすくなる。

 

そうならないためにも、感情と向き合って、その感情をクリアーにしていかないといけない。

 

特に怒りとか不安とか、迷いとかのマイナスの感情は、知らず知らずのうちに、あなたの心を傷つけてしまう。

 

自分のマイナスの感情をだれかのあるいは何かのせいにしているのなら、大分傷ついているのかもしれないね。

 

特に、怒り。

 

怒りには、気を付けたほうがいい。

 

どうも、ろくなものではないみたいだから。

 

禅の教えるところによれば、「誰かの怒り」というものは、ないのだそうだ。

 

すなわち、「私の怒り」や「上司の怒り」、「彼の怒り」というものはなくて、ただ「怒り」があるだけなのだとか。

 

ちょっと納得しかねる説明ではあるものの、怒りを考える時に、有効かもしれない。

 

人は、いろんな理由で怒る。

 

「あんなことで、そこまで」怒らなくてもいいのに、怒る。

 

同じような事態でも、Aさんは怒るけど、Bさんは怒らない。

 

あるいは自分の怒りで、どうしてあの場面で怒ったのかわからない、そんな怒りもある。

 

どうも人って、心の中に、怒りのエネルギーをため込んでいるみたいだ。

 

その大きさは人それぞれ。

 

さらに、導火線の長さも人それぞれだ。

 

だから、ある人はすぐに怒り、ある人はなかなか怒らない。

 

そしてどうやらそのエネルギーというものは、繰り越しされてきているみたいだ。

 

無意識のレベルで、怒りは蓄積されている。

 

無意識の世界が、これまでの人類のアーカイブだとしたら、これまでの怒りというものが、そこにはたまっていることになる。

 

すぐに怒る人は、その蓄積にアクセスしやすいだけかも。

 

怒ることそのものは、自然な感情で、湧きあがったりするものだ。

 

けれども、ため込んではいけない。

 

何かあると、すぐに再生されるから。

 

そうやって、自分が「怒った」という経験が強化されていく。

 

それは本当に避けなければならない。

 

だから、古来、さまざまな対処法が考案されてきたのだろう。

 

怒りに限らず、くよくよといつまでも悲しんだり、不安に不安を継ぎ足していてもいけない。

 

そのためにも、紙に書き出して、浄化するんだ。

 

ひとたび書き出せば、自分でもびっくりするくらい感情が湧き上がってくることもある。

 

どんどん言葉が連想されてくることだってある。

 

書くのをためらうような、ひどい言葉が浮かぶこともある。

 

すべてを書き記すのは、きついかもしれない。

 

それでもいいから、書いてみるんだ。

 

そしてしばらく日を置いて、また取り組めばいい。

 

慣れてくれば、すごい言葉、人に見せられないような文句でも、書けるようになる。

 

それは今流行りの、マインドフルネスに、つながることでもあるんだ。