ノートに書くことで、自分と向き合う

Мさんへ

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

あなたの夢は、元気ですか?

 

夢の反対語って何だろう。

 

現実?

 

よく、夢みたいなことを言うな、とか、夢見てないで現実を見ろとか言うよね。

 

おかしなものだ。

 

小さい頃あれだけ、「Мちゃんのゆめはなあに?」とか、「おおきくなったらなにになりたいの?」とか言われてたのに。

 

いつの間にか、似たようなことを言うと「現実を見ろ」みたいに返される。

 

「花屋さんになりたい」という答えは、小さいうちは「そうなの、いいね、花屋さん」のように肯定されたのに、大人になって言うと、「どこでするんだ、物件は見たのか、資金はどうする?」といった、まさに現実的な対応が待っている。

 

しかもその現実的な質問は、「何とかして応援してあげたい」といったものではなくて、「今言ったような準備が整っていなかったら、とうてい開業はできないからあきらめなさい」に近いものだ。

 

確かに、その夢が、ほとんど思い付きの域を出ないようなものなら、「もう一度考えて出直せ」といったような対応はわかるけれども、十分に温めてきて、どうしても実現したいものなら、動き出してもいいのではないかと思う。

 

根拠なんてない。

 

動いてみないと分からないことって、結構多い。

 

どういう人を巻き込むか、といったことも大きく作用する。

 

「運」という側面もある。

 

時代背景のような、努力などではどうすることもできないような要素だってあるだろう。

 

だから、後は、自分の感覚次第なのだろう。

 

直観と言ってもいい。

 

どれくらい自分が本気なのか、その気持ちや、やりたいことへの思いをノートに書いてみるんだ。

 

何をしたいのか、なぜしたいのか、どこでしたいのか、だれとしたいのか、いつまでにしたいのか。

 

何をしたいのか、その中身を詳しく書くだけでもノートの見開き2ページは使うだろう。

 

どうしてそのことに興味を持ったのか、過去の経緯まで書くとなると、数ページを費やすかもしれない。

 

けれども、「もう書けない、書くことがない」くらいになるまでノートを埋めてみるんだ。

 

「もう書けないな」と思ってからが勝負だ。

 

まだまだあるはずだ。

 

頭の中が空っぽになるまで書く、というのは、とても疲れることだ。

 

でも、疲れて欲しい。

 

すべてを出し切った充実感を味わってほしい。

 

書いているうちに、いろんなことを思い出すかもしれない。

 

それによって、新たな気づきも起きるだろう。

 

新しい指針を得るかもしれないし、思ってもみなかった発想が出ることもあるだろう。

 

もしかしたら、当初の思いとは違う方向性が見えてくるかもしれない。

 

なにがどうであれ、自分と向き合うのには、ノートが最適だ、と信じている。

 

時間を十分とって、取り組んでみて欲しい。

 

ではまた。