そばはすすったら音が出る

するってぇとなにかい、そばをたぐるときは、音を立てちゃあいけねぇっていうのかい。

ガイジンさんが耳障りだからって?

おっと、「ガイジン」ってのも、使っちゃいけねぇんだってね。

てやんでぇべらぼうめ、こちとら江戸っ子だあな。

そばってのはなあ、こう、ずずっずずってすするもんじゃあねぇのかい?

そうするとあれかい、高座へ上がっても、こうそばをすするわな、このとき、ずずっと音を立てるけど、その音の立て方に味というか、芸があるんだが、それも、こう(無音で)して、それから、「あー、うまかった、おい、いくらだい」ってやるのかい?

調子が出ないねぇ。

大体だ、その音が気になる外国の人っていうのは、たいていが、欧米の白人さんじゃあないのかい?

今日日の、いや昔からか、「外国人」イコール金髪青い目だからなあ。

フランス人が気にしているとは言うものの、エチオピア人も困惑してるのか?

欧米は言うに及ばず、アフリカの人も南米の人も、麺類を食すアジアの方々も、音を立ててすするのに違和感をお持ちなんでしょうか?

どうもそこに、いまだにぬぐい切れない、外国人というか欧米コンプレックスがありはしまいか。

その昔、「わたしのくにでは」というフレーズで活躍した、フランソワーズ何とかっていうタレントさんがいたけどな。

まあ、フランスではそうなんでしょうけど、日本ではこうなんですよ、って言うしかないじゃないか。

それをだよ、「わたしのくにでは」靴は履いたまま上がりますって、家の中に土足で入ってこられても、日本では履物は、玄関で脱ぐんですよ、それが文化であって、上下なんかない。

どっちが偉いとか未開だとか、そういう問題じゃないだろって。

いっとき、そんな、アメリカ「では」、イギリス「では」なんて言う「出羽の守」が大量発生したことがあったけど、またそんなのが流行っているのか?

明治維新から150年がたったのに、いまだに欧米えらいから抜け出せないんだねえ。

ちなみに、手元の辞書には、こうあった。

 

 

(ここから引用)

すする 〔ところてん・そば・かゆや、熱い茶などを〕強く吸うようにして、飲み込む。〔音を伴うことが多い〕

三省堂 新明解国語 第五版

(引用ここまで)

 

 

これなんかも、あと何年かすると、「音を立ててはならない」なんて注意書きに変わるのかねえ。