求む、古墳の発掘調査
こんにちは。
てらぴーだよ。
大阪南部の百舌鳥(もず)古墳群が、ユネスコの世界遺産に登録を勧告されたとかで、何はともあれおめでたいことです。
これを機に古墳の発掘調査がすすむことを願ってます。
僕の記憶では、「仁徳天皇陵」は明治になってから大規模な改修が行われているはずです。
今の濠は3重ですが、明治のころは2重でした。
それを3重に改修したのです。
もともと3重だったらしいのですけれども、築造当時に復元できたのかは不明なのだとか。
改修の際、ちっちゃい陪塚をつぶしたなんて話も聞いたことがあります。
ホントのところはどうなんでしょうか?
ちなみに陪塚とは、縁者や家来の古墳と考えられています。
古墳を造っていた当時から、ここからここまではこの人の古墳の範囲という墓域に関しては共通の認識があったのだとか。
なので、墓域内に別の大きな古墳を造るということはなかったようです。
そういうわけで、大きな古墳の近くにあるのは陪塚だと分かるわけです。
研究者は、ほかの古墳の名付け方と同じように「大仙(大山)古墳」と呼ぶよう指摘しています。
なにしろ、何々天皇の古墳と比定されたのは、造られてからずいぶん後。
おまけに、近畿地方に限っても、古墳の数はずいぶん減りました。
江戸時代の近畿地方の古墳を紹介した書物と現在を比べると、確か10分の1ぐらいになってたはず。
特に小さいのは、重要視されなかったんですね。
石舞台古墳を見ても分かる通り、時代が経つと、高貴な人のお墓かどうかなんて関係なくなります。
盛土を取られ、盗掘され、更地にされたものも数多いことでしょう。
道路とか建物が造られると、発掘調査の可能性はほとんどなくなります。
それで、奈良県では、家の新築とか建て替えに制限があると聞いてます。
小さい古墳でも、重要な発見につながることだってあります。
小規模の古墳だったので、注目されてませんでした。
でも、村人が穴を掘ったら石があるということで、発掘調査に及びました。
結果は極彩色の壁画が発見されるというお見事な結果になったのです。
小規模でも、何があるのかわかりません。
天皇陵古墳と呼ばれているものに限っても、築造年代がちぐはぐになっているものもあるそうです。
この際ですから、きちんと調査してほしいものです。