野帳に書くならときめいて
こんにちは。
てらぴーだよ。
野帳を書き終えました。
早速引き継ぎの儀式をします。
本の抜き書きで、ページを使ったから、早かったですね。
それだけでいい。
たとえ書いているところが、刑務所でも隔離病棟でも。
映画『アマデウス』に出て来るサリエリのように、入院患者たちがおかしなことをしているのを見て、「許そう」と言ったように、ひたすら野帳を埋めている自分に「許そう」と言いたい気分です。
よほどの特別感がない限り、日常は忘れ去られます。
先月の7日、何してたか朝から思い出せますか?
記憶はトピック的なことしか覚えてません。
日常のルーティンなんて、どんどん上書きされていきます。
あれもこれも覚えていたら、脳内が大変なことになるのは必定。
AIというお方も、そのうちに「物忘れ」をするようになる、つまりは人間並みになるのでしょうか?
もしならないのだったら、そこにこそ人間の人間らしさがありはしまいか。
と言ってみたところで、「忘れ物をする」という能力が、どう役立つのか。
それって、ただ虚しいだけなのかも。
忘れることができるから、新しいことに挑戦できるみたいですね。
でも、日常の何かしらを記録していくことで、新たな気づきも生まれます。
例えば、体調。
定期検診を受けなくても、普段から何を食べたのか、寝つきや寝覚めはどうか、排泄は適当にあるか、うんこはどんな具合か、体のどこかに痛みなどはあるか、そんなことをモニターしていると、大丈夫な気がします。
なので、野帳にも、出来るだけメモとして残すようにしています。
何を食べたのか、だけでなく、どんな気分で食べたのか。
トイレに行った、だけでなく、どんな具合だったか。
特に大きい方は、色、形、出具合を簡単に書いてます。
観察まではしませんが、気にはします。
「ブルーレット置くだけ」が、ブルーではよく見えないというので、色なしの商品も出たというニュースをだいぶ以前に読みました。
大きいのは、ちゃんと見ること。
大事なことですよね。
聞いたところでは、昭和天皇はご夫婦ともに、大きいのが「引き出し」になっていて、毎回係のお医者さんが、調べたのだとか。
平成天皇の時から、天皇ご自身がそれではいくらなんでも、ということで中止になったと、即位の時に、何かで読みました。
健康のチェックは、普段の生活からで大丈夫、と信じてます。
あれこれ気にするよりは、楽しく笑っていれば、それでいいとさえ思います。
野帳へのメモだって、義務感でやるのなら、続きません。
何を書くにもときめいて。
今日も、書ける喜びに浸ります。