スタバの「店内用のカップ」に秘められた些細な秘密
ところでコーヒーの話だが、夜のスタバ。
しっとりと暗くなって、いい感じです。
外は香林坊。
多分東京でいうと、銀座。(笑)
時折旅行者でしょうか、欧米人(白人)も通ります。
ラテにしようか迷ったけど、ドリップコーヒーをチョイス。
「店内用のマグカップ」で楽しんでます。
この、「店内用のマグカップ」、右利き用です。
なぜかと言うに、カップの側面に、スターバックスのあの人魚のおねいさんが浮かび上がっているのですが、左手で持つと見えなくなります。
それって、相手に見せるもの?
違いますよね。
右手で持った時に持っている人に見えるようになっているはず。
カップのデザインてほとんどそんな感じ。
右手で持つことを前提に作られてます。
右手で持った時に、そのデザインが楽しめるのです。
もうお分かりでしょう。
てらぴーは左利き。
「わたしの彼は左きき」のヒットは嬉しかったなあ。(遠い目)
雑貨店などで、マグやカップを見るのも、街歩きの楽しみの一つです。
でもほとんどのカップが「右手で持った時に見えるデザイン」になってます。
そんなことどうでもいいじゃん、と思うでしょうか?
こうした些細な、とるに足らないことでも、身の回りにいっぱいあると、ストレスになります。
とるに足りないからこそ、無意識のうちに溜まっていくのです。
そして、大抵の場合、共感を呼びません。
なぜなら、あまりにも小さいことだから。
これが、バリアフリーなんかの問題だったら、わかりやすい。
そして、問題にしやすい。
指摘して、「ああ、それは確かに改善した方がいいですよね」と思ってもらえやすい。
でも、カップのデザインなんて。
もっと目を受けるべき大切な問題があるでしょう、といなされて終わりそうです。
でも、こうした「右利きの文化」の中で左利きは(大げさに言えば)肩身がせまい生活をしているのです。
このようなストレスが溜まることで、左利きの人は右利きの人に比べて、寿命が短くなっていると主張する人までいるほどです。
生活をする上で、様々な道具を使います。
その道具が使いずらいとストレスを生みます。
特に力を入れないといけないものは、ストレスも大きいです。
刃物関係がそうですね。
最近は「左利き用」のハサミとかが100均でも買えるようになったので、いい傾向だと思ってます。
カップを見ると、ついついこんなことを考えてしまいます。
両側にあのおねいさんを浮かび上がらせれば、問題はすぐに解決するのにね。