食べたものをめぐる記憶と感想もまた、自分の表れ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップ。

 

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すべて飲食費。

 

珍しい。エンゲル係数100パーセントやん。

 

久しぶりだったり忘れ物をしたり、体調が悪かったり。

 

「飲食代」の中身もいろいろです。

 

レシートに印字された数字は、ただの数字ではありません。

 

同じ「モーニングコーヒー代」でも、数日前と今日では、中身が異なります。

 

たとえ同じお店であっても、なぜそのメニューを選んだのかは、毎回違うはず。

 

メニューも違うし、味も違う、その時の心の状態も違うはずです。

 

そして、感想もそこで何を考えたのかも同じではありません。

 

その違いを言葉で書き記すことで、自分の変化にも気がつきやすくなると思います。

 

なぜなら、感想とか思考なんてはかないものだから。

 

さっき何を考えていたのか、何を思っていたのか、何を思い出していたのか、どんどん現れては消え、消えては現れる。

 

ものの本によれば、僕たちは、1日に6万回の考え事をするそうです。

 

そのほとんどは、たわいもない些細なことかもしれません。

 

なので、その思考や感想を追いかけたりしなくてもいいのでしょう。

 

たまに追いかけて、秀逸なエッセイにする名人がいますけど。

 

けれども、中には、追いかけて考えを進めたり、疑問を引き取ったりすると面白いことがある。

 

話題の種になるっていうんですかね。

 

このまま消えさすのはもったいない、といったようなこと。

 

もしかしたらそれは、自分のこだわりかもしれません。

 

自分の考え方のくせかもしれないし、偏りかもしれない。

 

自分が普段から、何をどのように考えているのか。

 

どんなことに、どのように反応するのか。

 

それもまた、自分を知るための手がかりとなることでしょう。

 

何かを「食べる」「飲む」といった生存の基本においても、「個性」というものが現れます。

 

そうした個性を細かく見ていくためにも、その時々の思考や感情を捕まえる必要がある。

 

捕まえて、文字として「展翅」してみる。

 

その積み重ねもまた、自分なのです。

 

何を食べたか、の記録から、食べてどうだったか、の記録まで、残しておくと面白いですよ。