隙間があったら埋めたくなる
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日のレシートスクラップです。
「欲しい」というのは、満たされてないというシグナルかもしれません。
なぜだか分からないけど、胃袋が「かき揚げ」を求めている。
油が欲しいの?
単なる食欲?
それとも、何かの代理?
うーん、最近心から笑ってないから?
どこかが空っぽだと、別のどこかを満たそうとする。
それとも単純に、栄養が足りてないのか?
食欲って、寂しさの埋め合わせみたいなところがありませんか?
気をつけないと、食べたくないのに食べる羽目になったりする。
食べないよりはいいのかな、夏だしね。
食欲があるということで、よしとしますか。
もう十分あるのに、紙製品、と言ってもメモ帳ですけど、やたらに買い込む癖があって、誰か止めて〜って思うときがあります。
部屋の空間を埋めたいのかな。
それとも、別のどこかを埋めたいのか?
格闘家にして思想家の内田樹先生は、ご自分で自炊をされてた頃、何を食べたいか、食材を前にすれば体が教えてくれる、体の欲するものをその都度食べているのだから健康だ、と言った意味のことをお書きになってました。
今自分に必要なものは、自分が分かっている。
だから、欲するものを与えていけば良い。
でもそれは、体や心が健やかなとき限定でしょう。
体や心、あるいはその両方が疲れている時には、「これこれが足りてないから補充よろしく」というシグナルも曲げられてしまうのかもしれません。
そうなったらそうなったで、「体から、これが欲しいと言ってきているが、いつもと違うな、なんかあったのか」と気がつくことも大切なことなのでしょう。
体や頭、そして心に、何か異変が起こったら、すぐに気づけるようにしておきたいですね。
そのためにも、自分の「普段」というのがどのような状態なのか、把握しておく必要があるのでしょう。
それには、「普段」を記録していくしかない。
自分の中のスタンダードをはっきり持つ。
頭の動きはいつもどんなふうか、体のキレは普段どのようであるか、心の状態が普通であるとは自分の場合どんな感じか。
そうした基準を作り上げつつ、今日はそれからどれくらい離れているのか、そんなことを日々モニターしていく。
そのために、手帳やノートがあるのです。
さて今の自分は、何を欲しがっているのでしょう?