家計簿の数字は数字ではない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップです。

 

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相変わらずつつましい生活だ。

 

家計簿をなぜつけるのか、といえば、お金の管理でしょう。

 

入ってくるお金と出て行くお金を「見える化」して、無駄遣いを減らす。

 

てらぴーの昔は、数字で家計簿もどきを作ってたこともあります。

 

でも、めんどくさい。

 

なので、レシートを貼るだけ、にしました。

 

気をつけないといけないのは、レシートが出てこない場合。

 

自動販売機とか、スーパーのコピーとか(まれに、レシートが出てくるのもありますが)、友人との飲み会とか。(笑)

 

家計のやりくり、なんて言いますけど、生活は「数字」ではないですよね。

 

その数字には「中身」がある。

 

今日の食費何円って数字ではなくて、何を食べたのか、どう調理して食べたのか、誰と食べたのか、楽しく食べたのか、などなど。

 

税抜き98円のあんぱんを食べた、という事実の裏側にも、いろんな事情や感情が渦まいてあるはずです。

 

渦まなくてもいいけど、とにかく背後になんかある。

 

そして、何かを食べた、何かを買ったその前後で、感情が動いているでしょう。

 

買う前には、「あ、これ買おう!」「今日はこれが食べたい」「仕方ない、今日はこれで我慢しておこう」などの気持ちがあるでしょうし、買ったあとでは、「早く食べたい」「中身を開封するのが楽しみだ」「あ〜あ、結局これか」などの、やっぱり感情があるでしょう。

 

今月は何々にいくら使った、という数字の後ろに、思い出や何かしらの感情を伴った記憶があるのです。

 

でもそれは、あまりにもルーティンなので、すぐに消えて行く。

 

後に残るのは、「あれ!財布にもうこれだけ?今月使いすぎかな」みたいな残念な気持ちだけ(ってことありませんか?てらぴーはよくあるよ)

 

小さい頃からあまりにも「お金は使わないように」「無駄遣いをしないように」と刷り込まれているので、お金が出て行くのがとにかく勿体無いと信じていませんか。

 

それ、洗脳かも。

 

自分のために使って、自分が幸せになれたのなら、そして誰にも嫌な思いをさせていないのなら、その消費は浪費ではなくて「大正解」だと考えていいでしょう。

 

今日飲み物を買った、ではなくて、喉が乾いていたので飲み物を買って飲んだ、美味しかった、生き返った、それでいいのではないでしょうか。

 

数字とだけお話ししていると、よほどのことがない限り、お金って「出て行くものだなあ」と思いがちになりますが、今日これを買って幸せだったが積み重なっていると捉えれば、家計簿も楽しくなるのではないでしょうか?

 

数字だけ書くよりも、その時の事情とか感想を書く、その方があとで見直したときに楽しいと思いますけど、いかが?

 

それに、レシートスクラップだと、数字を書き写す手間も省けますよ。

 

楽チンです。