買い物のほとんどが食料なら、そこから寿命も見えるかな
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日のレシートスクラップです。
シャツの胸ポケットから、おとといのレシートを発見。
しまった!とは思ったものの、集計はしていないので、気にしない気にしない。
お弁当を買ったはずなのに、レシートでは「お惣菜」となってました。
お店の側の分類なのかな。
ご飯を炊いて、食べるときに二つに分けて、一方にはお醤油をかけて、ご飯とおかずにして食べる貧乏飯というのがあったけど、それと似たようなもので、「この程度の弁当ならおかずだよ」ということなのかな。
まあ、所違えば、何が主食で何がおかずなのかも違いますよね。
以前、フィリピンの国立図書館(たぶん)に迷い込んで、食堂でご飯を食べたときに、目の前の現地の人が、バナナをおかずにしてご飯を食べてました。
後で聞いたら、バナナを果物としてしか見てはならない、みたいなことを言われて、そういうこともあるのか、と目から鱗でしたね。
最近では、日本でも、チョコケーキをおかずにご飯(白米)を食べる人が、テレビで紹介されてました。
数年前のことですが。
そう言えば、いろんな家族に協力してもらって、ご飯(食卓)の写真を集めている研究者がいました。
一冊の本にまとめられてます。
書名を失念しました。ごめん。
その写真を見ると、「これが(おやつとかではなくて)食事なのか」っていうオンパレード。
コンビニのおにぎりとポテチだけとか。
「ダンナは味噌汁が飲みたいというけど、子供も私も嫌いなのでお茶か牛乳にしてもらっている」ご家庭とか。
日本の食卓って、もしかしたら、後戻りできないくらい変わっているのかも。
天ぷらはもう、「家で揚げるもの」ではなく「スーパーで買うもの」だそうですし。
おにぎりだって、「他人が握ったおにぎりは食いたくない」議論もありました。
「おにぎり」のアイデンティティが問われる「おにぎらず」も流行りました。
これさえ摂っときゃ大丈夫という「完全食」まであります。
「ぼっち飯」や「一人焼肉」も定着しています。
「食」は、「いのち」に繋がるはずなのに、「いのち」とは別のところで変化しているようです。
「いのち」があるのは当たり前で、その上に、仕事とか家事と並んで食事があるみたいな。
だから、煩わしくも感じる。
だから、できるならさっと済ませたい、みたいな。
ベルトコンベヤーに乗ってやってくる今日の「タスク」に、食事も入れられてしまっている。
食のひずみを食で解決しないで、サプリとか薬に任せてしまう。
その前に、食を見直したほうがいい。
普段何を食べているのか、どんな食材を買っているのか、体に何を入れているのか。
体から、どんなものを出しているのか。
買い物のレシートの向こうに、自分の寿命が見えるかもしれません。
自戒を込めて。