書くことで自分を強くする

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

メモというのは、何もタスクとかアイデアばかりを書くのではありません。

 

自分が今何を考えているのか、その実況中継もまた、大切なメモの効用だと思います。

 

亡き父が還暦を過ぎてから、急性白血病を発症して、長期に入院していた時、母と二人で、付き添いのため病院に寝泊まりしていたことがありました。(父も僕も一人っ子で、母方の親せきは多いものの、父方の身内はほとんどいなかったのです)

 

付き添いといっても、ただそばにいることぐらいしかできません。

 

かと言って、待合室のテレビなどを見る気にもなれず、廊下に置かれた長椅子に、日がな一日座っているのでした。

 

ふと思い立って、病院の売店で、一番小さいノートと黒のボールペンを買い求め、自分が置かれている状況とか、浮かんでくる考えや感情を書き連ねることにしました。

 

それから、父に対する思いなども。

 

この書くことは、思いのほか気持ちを静めてくれるのでした。

 

世間によくある父と長男の確執みたいなこととか、これまでの父との関係とか、今こうしていることの率直な気持ちとか、とにかく浮かんでくる思いや考えを書き記していったのです。

 

ただじっとしていると、不安とか申し訳なさとかろくに親孝行もできない罪悪感などで心がいっぱいになりそうでしたが、書くことで少しは落ち着いて、考えや思いを展開することができたように思います。

 

思いや考えを浮かんだままに書き留めていく。

 

その時は、いてもたってもいられなかったので、ただそうしただけでしたが、今振り返ってみると、書くことの心の整理作用みたいなものがあったのでしょう。

 

ともあれ僕は書くことで、落ち着くことができたのでした。

 

この時の習慣が、ノートを野帳に変えて引き継がれているのです。

 

野帳は、だから、ただのメモ帳ではありません。

 

タスクを書き出したり、アイデアを広げたり、思い付きを拾ったりもしますが、自分が今考えていること、感じていることをリアルタイムで書き記すことによって、自分を客観視できるのです。

 

自分を客観視できれば、自分が何をしていたのか、何を感じていたのかが明らかになって、評価しやすくなりますし、どこをどう改善すればいいのかも見えやすくなる。

 

ぶれていたりずれていたりすると、その修正もしやすくなります。

 

自分はどこに向かっているのか、このままでいいのか、そのベクトルがはっきりする。

 

ベクトルがはっきりして、これで行く、この方向に進む、ということが明らかになれば、強いエンジンになると思います。

 

仮に方向に迷っても、書くことで軌道修正するかどうかも決められます。

 

常に自分の考えや気持ちを書いておく、その習慣が、自分の進む道を確かなものにするのです。