今日起きたことは、どんな物語の一部だろうか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

少し涼しくなった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今日も、いろいろなことがありました。

 

でもそのすべてを覚えていられるはずもなく、また、覚えておかなくてもいいのですけれども、どんなことが印象に残っているでしょうか?

 

今日の自分にタイトルをつけるとしたら、どんな感じになるでしょう。

 

ただ今日1日、ただ今日1日を終えるのではなく、人が生きていくのに、「物語」が必要であるとはよく言われることです。

 

あなたは、どのような物語を自分に用意しているのでしょうか?

 

今日のクライマックスは何だったでしょう?

 

それも自分で決めていいのです。

 

今日あったことの中で、どれをクライマックスにして、どんなタイトルを付けますか?

 

それは、明日にどのように引き継がれるのでしょうか?

 

起きたことは何かしらの結果です。

 

単独で起きたのではなく、その原因となることがちゃんと、ある。

 

そして、今日の結果は次への原因となる。

 

その、原因と結果を結んでいくのがあなたのストーリーです。

 

自分を主人公にして、どんな物語を紡ぎますか?

 

ただ、日々起きることを受け身にとらえてないで、積極的に選んだり、拒否したり、主体的にかかわったりしながら、主人公である自分を動かしましょう。

 

そのほうが絶対楽しいから。

 

松任谷由実の歌の歌詞に、「目に映るすべてのことは、メッセージ」という有名なフレーズがあります。

 

だとするのなら、今日あなたの身に起こったすべてのことは、何かを伝えているはず。

 

「すべて」からメッセージを受け取らなくても、印象的な出来事が何かありませんでしたか?

 

疑問に思ったり、決心がつかなかったりしたときに、「あれっ?」とか「ん?」って感じたことはなかったでしょうか?

 

意外とそんなところに、メッセージが潜んでたりします。

 

でも、とらわれすぎるのもどうかとは思いますけれどね。

 

信号の赤青に一喜一憂しないといけない羽目になる、というのは、本末転倒ものでしょう。

 

今日起きた出来事をうまく消化して、どう生かせるかを考えるのも楽しいものです。

 

「神様は意地悪じゃない」

 

必ず何か、いいことがありますから。