オセロのようにひっくり返そう、今日の嫌なことを

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨上がりの空に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

人間万事塞翁が馬という故事成語があります。

 

禍福は糾える縄の如し、とも言えますよね。

 

人生何がプラスになって何がマイナスか、そう簡単には判断ができない。

 

どん底が人を育てる、とも言います。

 

今日もいろんなことがあったと思います。

 

その一つ一つは、決して「中性」ではなくて、うれしかったり残念だったり、くやしかったりありがたかったりしてませんか?

 

この際ですから、夜の手帳の時間に、マイナスをプラスにとらえなおしてはどうでしょう。

 

ちょうど、オセロゲームのように。

 

そう考えたら、人生はオセロゲームとも言えますね。

 

ゲームのオセロでは、四隅を取れば、相手から取られることはありません。

 

有利な戦いなります。

 

でも現実は、四隅を取ったと思ってたら、ルール無視の手を使われて取られてしまった、なんてこともありそうです。

 

ゲームでは、相手を挟まないといけませんけど、現実は、一方だけ自分のならひっくり返しもありかもしれません。

 

もうオセロじゃない。

 

それはともかく、今までマイナスだ失敗だとしょげてても、挽回のチャンスなんていくらでもある。

 

自分が白で、盤面に白が一つだけでも、ひっくり返すことは可能です。

 

今日のトホホな感覚を明日に持ち越さないために、マイナスをプラスに変えて捉えなおす。

 

全面的にプラスにできなくても、プラスの要素があるのでは、と考えてみる。

 

どこかに、1パーセントでもプラスなところがありはしまいか。

 

結局は、捉え方次第。

 

徹頭徹尾プラスとか、どこまで行ってもマイナスとか、そんなものがあるわけではありません。

 

打ちひしがれても、生きてりゃそんなこともある、叩きのめされたのなら、まさに生きてる証拠だ、ぐらいに考えて、貴重な経験として受け取りましょう。

 

マイナスな出来事でも、そのマイナスを何とかしろという神様からの宿題と考えて、受け取ってみましょう。

 

これは嫌だ、これは自分じゃない、こんなのまっぴらごめんだと拒否するのではなく、そんなこともありかもね、生きてりゃそれぐらいのことは起きるでしょ、と受けてみる。

 

懐に入れると、案外ひどい事態ではなくて、何とかなりそうだとか、このことはどうしようもないけど、ここの部分だったら対処できるとか、前向きな対策も見えてくるものです。

 

本当にどうしようもなくなったら、笑うしかないですよね。

 

笑えませんけど。

 

植木等が高らかに歌う、『だまって俺について来い』

 

(引用ここから)

 

「銭のないやつぁ

 

おれんとこへ来い

 

俺もないけど 心配するな

 

見ろよ青い海 白い雲

 

そのうちなんとか なるだろう」

 

(引用ここまで)

 

あまりにも、無責任な歌ではありますけど、この歌の主張は、「(金なんてないけど)そのうちなんとかなるだろう」ではなくて、

 

「心配するな」

 

ではないかと思ったのです。

 

お金がなかったら、普通は心配しますけど、「心配する」という心のありようがそもそもダメなんだ。

 

どんなマイナスがあっても「心配せずに」どーんと行け、というところが、この歌の主張なのではあるまいか。

 

マイナスに飲み込まれずに、プラスで、明るい心持で生きていきましょうよ。

 

そのうちなんとかなりますって。(笑)