脳だけが考えているのではない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップです。

 

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買い物1件だけ。

 

業務スーパーに買い出しです。

 

ミニマリストを気取っているわけではないのですが、ただ今我が家には冷蔵庫という文明の利器がないので、買い出しといってもたかがしれてます。

 

常温でも大丈夫なものしか買えません。

 

でも、なんとかなるものだし、考えようによっては、いつも新鮮なものを食べられているわけなので、これはこれで健康な生活と言えましょう。

 

最近そうめんばかり食べてますけど。(どこが新鮮なの?)

 

さて、体が資本とはよくいったもので、何をするにも、体を動かさないといけません。

 

よく漫画とか映画などで、むき出しの脳が、色々つながれて、培養液?の入った巨大なタワーか水槽みたいなところに入れられて、そこから悪の指令を出している、といったシーンがあります。

 

主人公が、悪の首謀者を探し当てたら、ボスは「人間」ではなくて脳だった。

 

で、その脳は、世界征服なんかを夢想して、悪事を支持しているのです。

 

でも、果たして脳だけで、「思考」が完結するものでしょうか?

 

確かに、考えたり想像したりしている部位といえば「脳」を置いて他にないでしょう。

 

でも、その人の考え方とか思考のクセ、あるいはその人らしい想像力のあり方など、全て、脳が単独で行っているものなのでしょうか?

 

体はあくまで脳の付属品として、いわば脳の運び屋みたいな立ち位置なのでしょうか?

 

将来、脳移植が可能になれば、脳を入れ替えて体が変わっても、その人らしさは受け継がれるのでしょうか?

 

なんの支障もなしなのでしょうか?

 

脳が体の主人なのでしょうか?

 

と考えていったときに、体のありようと思考の関係が、もっと考察されてしかるべきではないかと思うのです。

 

例えば、武道。

 

武道は何も、戦うための修練ではありません。

 

道家にして思想家の内田樹先生は、こう述べています。

 

「武道の目的は、今身につけようとお稽古している技を一生のうちで1回も使わないようにするためなのです」

 

ここには、体の修練を超えた、体と頭の総合があると思えてならないのです。

 

脳の活動は、体に左右される。

 

どんな体を持つかで、その人の思想の可能性も限界も決まってくる。

 

だからこそ、体にもっと気をつけないといけないのかもしれません。

 

食は、だから、体の維持だけではないのです。

 

日々何を食べているのか、どんな体を作っているのか。

 

そうしたことが、頭と心の働きをも左右するのです。

 

体があるわけではないし、頭が独立しているわけでもない。

 

私たちは、トータルに存在しているのでしょう。

 

「腹が膨れればいい食事」は見直さないとね。

 

そうめんどうしよう?