手帳は、未来の自分に向けたエールなのだ
こんにちは。
てらぴーだよ。
一息ついたら、手帳を開いて、今日の自分を確認しましょう。
そして1日の終わりには、手帳の時間を持つのです。
どのような1日であっても、「正しい時間に正しい場所にいる」。
タスク処理に終わらない、3行日記などでは書ききれない、今日の自分があったはずです。
たとえ数秒でも、感情が動いた出来事はなかったでしょうか。
どんなに楽しいことも、そのうち忘れます。
ですから、起きたときに書き記す癖をつけましょう。
私たちの心の中には、悪徳アーカイブと呼んでもいいようなマイナスの記憶装置があるのです。
そいつは、ことあるごとに、自分の過去の失敗や、恥ずかしいことや、いたたまれないことなどを実によく覚えていて、自分に突き付けてくるのです。
「お前は、過去のある時点で、こういう過ちをしでかした」
「小学3年生の時に、これこれこのような悪行を積んだ」
「中学生の時、こんな失敗をしたこともある」
時に、本当に、「自分」でさえ忘れてしまっていたことを、このもう一人の「自分」は覚えていて、蒸し返してくる。
こうして、自分は自分で、自分が嫌になる。
そういうことはありませんか?
けれどもその自分は、偽りの自分のようなもの。
相手にしてはいけません。
けれども、そいつが示してくるのは、まぎれもない自分の「悪行」の数々なので、反論が今一つ弱くなる。
確かにそうだよなあ、そんなこともあったよな、その時はずいぶん迷惑をかけたんだなあ、というふうに納得せざるを得ない。
けれども、それがそいつの目的なので、自分を卑下してはなりません。
代わりに、「できたこと」「役立ったこと」「感謝されたこと」「うれしかったこと」で対抗しましょう。
失敗もしたでしょうが、それと同じくらい、あるいはそれ以上にいいこともしているはずですから。
何かを仕上げた、やり遂げた、完了させた、そのことで誰かの役に立った、誰かを笑顔にした、自分が満足した、そんなことが、1日のうちにいくつもあったはずです。
その一つ一つは些細なことで、誰にでもできることかもしれません。
でも、自分がしたことで、「自分がやったこと」「自分の手柄」にカウントしてもいいはずではないでしょうか?
こんな失敗をした、というのなら、その一方で、こんないいこともやっている。
決して、失敗だらけではない。
自分の中の、悪徳アーカイブの示すままに、「自分の人生は失敗だらけだった」などと決めてはいけないのです。
でも、自分の行った「いいこと」も、記録しておかなければ対抗できません。
そこで、手帳やノートに、今日の成果を、どんな些細なことでも書き記しましょう。
朝起きられた。
ご飯を食べられた。
洗濯できた。
着替えられた。
仕事を一つ終えられた。
〇〇さんを笑わせた。
〇〇さんから「ありがとう」って言われた。
〇〇さんに親切にしてもらえた。
コーヒーがおいしかった。
晴れててよかった。
雨で涼しくなって過ごしやすかった。
どんな些細なことも、今の自分につながっています。
もし、悪いこと、失敗だらけだったら、今の自分は極悪人に育っていることでしょう。
そうなっていないのは、自分でそうならないように選んできたから。
今の自分のいいところは、過去の選択のたまものです。
だから、自信を持っていい。
失敗なんて、スパイス程度に考えて、自分を認めましょう。
でも落ち込んだときに、心が「ダメな自分」に傾くので、そういう時に、手帳やノートを見直して、「できたこと」や「うれしかったこと」を確認しましょう。
これからも、生きていれば、落ち込むことなんでいくらでもあると思います。
その時の自分にエールを送るつもりで、今日できた成果を書き記しましょう。
どんな時も、自分を肯定するために。