迷わず行けよ、行けば分かるさ
こんにちは。
てらぴーだよ。
ご飯3倍は食えそうな西日の日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
ルーティーンに流されないで、自分の達成したい目標に今日、どれだけ近づいたでしょうか?
はっきりとした成果が確かめられなくても、その方向にエネルギーを注いでいるのなら、良しとしましょうか。
目標は、しばしば忘れ去られるからです。
なぜ目標を達成できないのか、その原因は、「目標を忘れるからだ」という文言に接したことがあります。
日々の雑事に紛れて、ルーティーンに気を取られて、本当に大事なことが後回しになってませんか。
それは、タスクとして表れてこない場合が多いので、見過ごされがちなのかもしれません。
ギターを弾きたいな、若かりし頃のようにギターを弾こう、そう思っていても、仕事やら何やらが忙しくて、時間が取れないまま、気が付くと、「あ、今日も弾けなかった、また明日だな」、でも、それ、何回目ですか?
どこかで思い切って行動しないと、あるいはお膳立てを考えないと、たぶん動きません。(ソース、てらぴー)
事程左様に、現実の引力は強いし、実践への第一歩は遠い。
いつまでも、暇になったら始めようリストを抱えてちゃだめですよ。
その暇、永遠にやってこないですから。
手帳に、はっきりと、予定として時間を取りましょう。
何なら、マーカーでその時間帯を囲ったっていい。
誰にとっても、「ああ、自分はこれをするために生まれてきたんだ!」と感じることがあるはずです。
だとえそれが大きすぎる勘違いだとしても。
勘違いで結構です。
世の中を見渡せば、才能があるからとか、適材適所であるとか、そんなのうそでしょう。(ソース、国会議員の方々)
才能がないのに、能力がないのに、その地位についている人たちはいっぱいいます。
だから、才能や能力は、はじめの一歩には関係がないのです。
天職かどうかだってどうでもいい。
自分の信じたことが、やり続けることで天職になる。
「好き」がある限り。
その「好き」を、いち早く自分の生活に取り入れたほうが、幸せになりやすい。
でもここで、いろんなものが、足かせとして、もれなくあなたについてます。
でもその足かせは、ほとんどが幻なのですけど。
「この道を行けば、どうなることか、
迷わず行けよ。行けば分かるさ」とは、アントニオ猪木の引退の時の詩ですが、一休さんの詩であるとも説もあります。
大事なことは、進まないと見えてこない。
今ここで、その向こうのことをあれこれ想像して足踏みしていても、足踏みは止められません。
挙げた足を同じところに着地させないで、少しでいいから前に出してみる。
それが前進ということです。
今日の足踏みを、明日は前に出しましょう。
自戒を込めて。