高齢社会から超高齢社会へ、でも「家族」になれば大丈夫
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日のレシートスクラップです。
当初、予定してなかったけど、あまりにもお腹がすいて、それに体がタンサンを欲していたので、自転車を飛ばしてサイゼリアでランチしました。
いつの間にかサイゼリアも平均年齢が高くなってます。
お客さんもそうだし、働いている人も。
もうかれこれ40年ほど前、堺屋太一さんのお話を聞く機会がありました。
「団塊の世代」の名付け親、大阪万博のプロデューサーだった人ですね。(当時は高級官僚でした)。
40年前、堺屋さんは、そのうち喫茶店などもウエイトレスは若いおねいさんではなくて、おばちゃんになる、と予言してました。
その当時大学生だったてらぴーは、喫茶店のウエイトレスぐらい、若いおねいさんで需要と供給できるだろうと思ってましたが、今となると、働いている女の人たちは皆さん中高年の方々ばかり。
人口動態を見て行けば、予想できることとは言え、堺屋さんの見立ては正解でございます。
スーパーに行っても、じじいの姿をよくみます。
自分がまずその中の一人なんですけど。
奥さんの買い物に付き合っているのか、売り場を放浪しています。
人生100年時代!なんておだてられ、80歳まで働こう、年金もらうのはその後という雰囲気が作られつつある今日、このままでは老衰も自己責任にされそうです。
個人の資産で乗り切れるのは一握りの人たちだけかもしれません。
そこで考えたいのがコミュニティの在り方です。
個人資産がなくても、稼ぐ能力がなくても、肩寄せ合えばなんとかなる、少なくとも生きてはいける。
そんなコミュニティがあちこちにできれば、二千万円なくったって、露頭に迷うことはありますまい。
お金持ちより人持ちが、老後の生活を支えてくれると思います。
追い出されることのない住居と、質素ながらも食べるもの、そして、共に笑い合える仲間がいれば、超高齢社会でも、孤立せずに生きられます。
「家族になろうよ」という合言葉は、それ故に、広く深い営みを表しているのではないでしょうか?