今日1日も、無数の選択でできている
こんにちは。
てらぴーだよ。
日中もずいぶん涼しくなった日の夜に、手帳の時間です。
すっかりセミがいなくなったようです。
公園と言わず街路樹と言わず、あんなに鳴いていたのに、なんだかひっそりとしています。
今年はミンミンゼミを聞くことなく終わりました。
この近辺では絶滅してしまったのでしょうか?
ちょっと気がかりです。
さて、今日1日を丁寧に振り返りましょう。
人生は選択の連続です。
今日どんな選択をしましたか?
もっと違ったことを選んでもよかったのに、なぜそれを今日選んだのか。
そこにどんな気持ちが関わっていたのか。
朝から寝るまで、選択の連続です。
その選択が、自分の運命を左右しています。
例えば、帰宅する途上で、曲がり角を一つ違えるだけで、その後の運命が変わるのかもしれません。
ただその違いは、証明することができない。
この道を行ったからこうなって、曲がってしまったからこうなった、ということは明らかにはできないのです。
ただただ自分が選んだほうを生きるしかありません。
今日、朝起きないという選択もあったはずですが起きました。
朝食を食べるほうを選びました。
着ていく服はこれを選んで、いくつかある道順の一つを選んで仕事に行く。
ほとんどルーティンと化して、気にも留めない選択の数々です。
でもその選択の積み重なりが、結局のところ、あなたを作っているのだし、あなたの生涯をデザインしているのです。
その際、どれくらい自由だったのでしょうか?
選択肢がどれくらいあったのでしょうか?
何が必要なことで、何が不必要なことだったでしょうか?
自分にとってプラスだったことは何で、マイナスだったことはどんなことですか?
今日の選択の何が自分らしさを作るのでしょう。
今日を振り返って、もっといい選択がなかったのか、考え直してみるのもいいかもしれません。
ほかの選択肢を考えてみる時に、自分に許している自由もまた、明らかになることでしょう。
「こんなことはできない。」
「こんなことをしたら迷惑がかかる。」
「さすがにそんな選択はあり得ない。」
そんな風に感じたとしても、それは幻かもしれません。
知らない間に、自分で自分の選択肢を「他人の目」で考えてませんか?
めちゃくちゃ自由になったとしても、明日も今日のような1日を送りますか?
自覚のない奴隷が、一番みじめな奴隷である、これは確か魯迅の言葉。
少しづつ、自由にしませんか?