「時間がない」のは「夏休みの計画表」を作っているから

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

小雨だけど寒かった日にも、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

小学生の頃、夏休みの前に、「1日の時間割」みたいなものを書かされました。

 

計画的に時間を使ってほしいということなのでしょう。

 

毎回立ててはいるものの、毎年あっという間に撃沈してました。

 

そして後に残る、自分はなんて時間の使い方が下手なんだという罪悪感。

 

でも、その本当の原因はいったいどこにあったのでしょうか?

 

それは、「しなければならないもの」を「点」で考えていたからではないかと思うのです。

 

例えば、お風呂に入る時間を、その「一日の過ごし方計画」に入れるとしましょう。

 

普段、平均して30分で入っているとしたら、30分というかたまりを計画の中に書き入れます。

 

例えば、7時半から8時までの30分は「お風呂の時間」として。

 

けれども、この書き方がそもそもの「敗北」の原因なのです。

 

なぜなら、お風呂に入っている、もう少し正確に言えば、お風呂場にいる時間が30分だとしても、その準備に何分の時間がかかっているはずです。

 

お風呂を沸かす時間とか、着替えなどを用意する時間とかです。

 

また、お風呂から上がっても、しばらくは汗を拭いたり、水分を取ったり、くつろいでいると思います。

 

体をふいて、汗が引いて初めて下着を着ることができます。

 

「お風呂場から出てきた時間」までが「お風呂の時間」ではありません。

 

予定通りに、7時半になったら次の瞬間お風呂に入っていて、30分経って8時になったら、お風呂から出て次の行動に移っているというのは、現実的にはあり得ません。

 

でも計画では、7時半から8時がお風呂の時間で、8時からがお勉強の時間、みたいになっているのです。

 

その前後にかかる時間というものを全く考慮していません。

 

なので、計画を綿密に立てても、いざ実行してみると、その通りにはいかないのです。

 

何をするのか、という項目は、「点」ではなくて「線」でとらえなければならないのです。

 

お風呂の例で言えば、着替えを用意するなどの準備から、上がってくつろぐまでを「お風呂の時間」ととらえるのです。

 

こうして初めて「お風呂に入る」実質の時間が見える化するのです。

 

他のすべてのタスクも同じです。

 

「15時から会議」だとしても、準備の時間に加えて移動の時間も発生します。

 

会議そのものは、1時間だったとしても、その会議に取られる時間は、その2割増しとかになるのではないでしょうか?

 

もし準備に時間がかかるようなら、その時間からが「会議の時間」です。

 

こうしてタスクを「線」でとらえると、「時間が足りない」ということが緩和されると思います。

 

実際は、時間が足りないのではなく、その前後の時間を見てなかったことにあるのですから。

 

タスクは「点」ではなくて「線」でとらえる。

 

こういったことを心掛けると、一つのタスクを終えたらすぐに次のタスクに取り掛かるああ時間が足りない、という「夏休みの計画表」のようなあわただしさから解放されるでしょう。

 

そして、自分は時間の使い方が下手、という本当は根拠のない罪悪感からも解放されると思います。

 

お試しを!