紙に手書きで今日の生活を残しましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

台風で1日中雨の日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

はっきりとした用事とか、タスクの処理だけで生きているのではないのだから、生活をできるだけ残しましょう、というのがてらぴーの手帳術。

 

本当に、些細なルーティーンも毎日のこととなると時間も労力も費やします。

 

知らない間に1週間が経ち、一か月が過ぎ、そして年齢が一つ増えていくのです。

 

「あれ?なにしてたっけ?」という感慨は、もはや合言葉のように頭の中を飛び交うのです。

 

どんなに頑張っても、生活のすべてを残すことはかないませんが、今日を思い出せるキーワードみたいな行動とか思考、感情を日記のように書き記しておけば、後で読み返したときに、懐かしい写真を見るように茶色の風景に包まれるかもしれません。

 

特に、手で書くという行為には、単なる記録を超えた効果があると思うのです。

 

紙に手書きで残すためには、言葉を紡がなければなりません。

 

単語の羅列では、何があったのか、何を考えていたのか、どんな気持ちだったのか正確には残せないでしょう。

 

手帳の今日の欄に、「コーヒー、食パン、布団」とだけ書いてあっても、「コーヒーと食パンで食事をとった」ことはうかがえますが、それに「布団」がどう絡んでくるのかが分からない。

 

けれども、短くても文章で書いておけば、後から頭の中で再現もできましょう。

 

「コーヒーを淹れてから食パンを買ってきて、布団を干した」みたいに。

 

自分がその時何をしていて、何を考えていて、どんな気持ちになっていたのか、といったことは、言葉にして初めてわかることもあるのです。

 

いわば自分を客観視してみる。

 

特に思考や感情にとらわれないためにも、客観視は重要です。

 

自分を1段高いところから見てみる。

 

そうすることで、落ち着けるから、心穏やかに過ごせます。

 

いつまでも「あの野郎、許せない!」という感情に溺れてしまわないで、「そんなこともあるよねえ」ぐらいにとどめておけたりします。

 

激しい感情の場合は、時間もかかると思いますが、前に進むのなら、過去の感情にいつまでも付き合っていてはいけません。

 

自分の感情に気づき、名前を与え、許す。

 

またどこかで顔を出しても、「まだ怒っているのか、しつこいね、しょうがないね」ぐらいで毎回手放していれば、そのうち顔を出さなくなるでしょう。

 

過ぎたことで、しかもよみがえっても得になることは何もないことに、いつまでもエネルギーを取られてはいけません。

 

そんなところでエネルギーを消費するために生きているのではないからです。

 

書くことには、ですから不思議な力があるのです。

 

どんなに時代がデジタルになっても、紙に手書きが廃れることはないと思います。