手帳に、今日の「冒険」を書こう
こんにちは。
てらぴーだよ。
さらに寒くなった夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
人生は、RPG(ロールプレイングゲーム)であるとは、よく言われることです。
誰の人生にも、「物語」があります。
あなたの一生は(まだ終わってないけど)、どんな物語なのでしょうか?
その物語を、手帳をもとに復元するとしたら、どんな感じになるでしょうか?
「ターミネーター」じゃないけど、「人類審判の日」が訪れたとしましょうか。
がれきの中から、あなたの手帳が見つかったとします。
生き残った人類は、それまでの「歴史」を復元しようと、がれきの中から「資料」になりそうな「字が書かれたもの」を探していたのです。
それで、あなたの手帳が発見されました。
幸いほとんど無傷だったとします。
字も支障なく読めます。
何年のものなのかもわかります。
さて、どのように読解されるのでしょうか?
生き残った人類は、あなたの手帳から何を学べるのでしょうか?
「この手帳の持ち主は、どんな生活をこの当時送っていたのだろう」
それで、あなたの手帳には、どんな物語が記されているのでしょう。
その前に、「物語」が書かれているのでしょうか?
仕事のスケジュールや買い物リスト、どこまで行っても単語が並んでいるだけ。
空白になっている日も多い。
これでは、どんな日常を送っていたのか復元するには不十分ですし、何より、その時の「感情」などは一切わかりません。
どんなことを考えていたのか、あるいは何に悩み、悲しみ、一方でどんなことを楽しんでいたのか。
持ち主の「ストーリー」が見えてこない。
もちろんそのような手帳もありでしょう。
特に仕事上のことだけ書いたのならなおさらです。
でも、仕事も合わせてもっと壮大な「物語」があったはずなのです、どんな人の人生でも。
今日も昨日と変わらない1日だった。仮に最近はそうであったとしても、昔からそうであったとは思えません。
小さい頃から今に至るまで、「波乱」も何もなかった、というのは考えにくい。
仮に、昔のことは忘れたし、今はほぼ同じような毎日を送っているとしても、あなたの本体は、つまりは魂は、「冒険」を求めているのではないでしょうか?
自分が踏み出せなくても、他人の冒険には、心躍るものを感じていたり、そのような人を見ると嫉妬したりするのではないでしょうか?
僕も同じだから。
普段は心のどこかで押さえつけているけど、楽しくやってる人を見ると、どうしてあんなことができるんだろうとか、自分もやってみたいと老人の血も騒ぎますよ。
でも、なんの変哲もないと思ってしまう今日でさえ、「冒険」のかけらは埋め込まれている。
見て見ないふりをしているだけなのかも。
本当は、したいんでしょ?もう一人の自分がささやいてくる。
「今」に安住してはならない。
なぜなら、「今」は「到達点」ではないから。
手帳に「物語」を書こう。
後で見た誰かが嫉妬するような。
「すげええ、令和元年にこの人、こんなことしてるよ」
「令和元年にこんなこと考えてたんだ」
そんな風にびっくりしてもらえるような生活を送って、それを手帳に記そう。
特別なことでなくてもいい。
俺は今日こんな風に生きたぜ、ロケンロール、みたいな。
令和元年はあと少しで終わっちゃうけど、あなたの物語は、まだまだ終わらない、ですよね?