「紙に手書き」は人間の特権、AIじゃ無理

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

思いのほか暖かかった日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

日中は、最近にない暖かさで、冬用のハーフコートを脱いでしまったほど。

 

にもかかわらず、足の指先に違和感が。

 

どうやら、「しもやけ」のよう。

 

もっと無機質な言い方だと、「血行不良」。

 

筋肉が少なくなると、血液を送り出す力が下がり、体の先端で血行不良になるみたいです。

 

心臓のポンプ力だけでは、体の隅々まで血液をいきわたらせることはできないのだとか。

 

願わくは、頭には十分な血液が流れますように。

 

人体は不思議に満ちてます。

 

知り合いの看護師さん(女性)から聞いた話が、忘れられません。

 

彼女の勤務する病院には、産婦人科にお二人のドクターがいらしたそうです。

 

それで、患者さんがやってきます。

 

その患者さんのタイプが、どちらの先生の治療を受けるかで、きれいに分かれるのだそうです。

 

もちろん、病院側で割り振ったりはしません。

 

でも、A先生の患者さんはこういうタイプの人たち、B先生につく患者さんはこういう人柄、それはもう、はっきりと分かれるのだとか。

 

そういう傾向があるというのでもないと言います。

 

逆も起こらない。

 

B先生につくタイプの人がA先生の患者になるということはあり得ない、と彼女は言います。

 

どこまでも2分されるというのです。

 

もちろんこれは、「類は友を呼ぶ」とか「朱に交われば赤くなる」ということなのでしょうけれども、それにしても、どうしてそうなるのか。

 

そのような傾向があるとか、最初はランダムだけどやがて分かれる、というのとも違うようです。

 

われわれの意識には、まだまだ思いもよらない機能というか働きが隠されているようです。

 

書くことに関しても、「紙に書いたことは現実となる」というではないですか。

 

でも、科学的な検証は難しいですよね。

 

おおむねそのようなことは起こりうるとか、そうではない場合ももちろんあったりはするのでしょうけれども、経験則的な範囲を出られません。

 

とは言え、「紙に手で書いたことは実現する」には、人が持つ深遠な何かを表しているように思います。

 

いわゆるスピリチュアルな領域の話になりますが、例えば昨今話題の「マインドフルネス」なんかも、突き詰めていけば、科学を超えるというよりまだ科学では説明できない領域に入ると思います。

 

問題なのは、「スピリチュアル」と言っても、範囲が広いことでしょうか。

 

「無意識」とかならまだわかりますが、「歴史上の大人物の生まれ変わり」までいくと、ついていけなくなる時もあります。

 

フランスの「ルルドの奇跡」の話なら、「ありうるかも」と思えても、「この石に、ビッグバンのエネルギーを込めた」みたいな話になると、「お大事に」と思ってしまいます。

 

ユングが発見した無意識もそうですが、人間の意識のありようにさえ、いまだ解明されていない事柄がたくさんあるのだと思います。

 

それなのに、AIが人間の「知能」を超えるとか、ありえないと思います。

 

第一、「無意識」をどうやって「実装」するというのでしょう。

 

人間の最後の砦は、「手」と「言葉」だと思います。

 

「紙に手で書いて」「望む現実を」「引き寄せる」、いつでもだれにでも、どこででも再現はできませんけれども、十分信じていいことだと思うのです。

 

紙の手帳にときめくのは、人間だけだと思います。