手帳やノートに手書きする時、あなたはAIを超えている
こんにちは。
てらぴーだよ。
雨の満月の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
今年も過去へとどんどん消え去っていきますが、生きた証しを捕まえる準備はいいですか?
後で思い返して、あの頃はこうだったなあとよみがえらせる「仕掛け」を残しましょう。
その仕掛けは、紙とペンで作られます。
昔は、木や竹や水辺の草、あるいは動物の骨の平たいところとか、羊の皮などに「印」をつけていたのですから、さぞや大変だったことでしょう。
おまけにすべてが一点もの。
座右に置いておきたかったら、自分で複製を作るか、作らせるしかなかったのですから。
その点では、その当時、門外不出とされた古典でも、現代では、ものによっては文庫本で数百円で読めるのですから、なんて素敵な時代になったのでしょうか。
その一方で、「読解力」はそこまでの進化を見せていないようです。
むしろ、後退している。
AIが「人工頭脳」と呼ばれたり「人工知能」と言われても、「計算機」である以上、「思考」はできないのではないかと思います。
それに、人間の知性というのは、とても霊妙な部分もありますし。
AIはテクノロジーなので、これまでと同じく、、新しい技術によって仕事が代替されるということは普通に起こるでしょう。
でも、人間を超えるとか、対立するとかは考えすぎだと思います。
それに、人は頭でだけ考えているわけではありません。
皮膚にも、脳を通さない思考が見られるという研究もあるようですし、何より二足歩行をすることで自由になったこの「手」というものがあるではないですか。
そして、言葉、中でもイメージの力は、あまりにも不思議なことだらけで、これが電気信号ですべてが解明され、再現できるとは思えません。
「シリ」や「ワトソン」は、いつ、ノートの端っこに落書きをするのでしょうか?
プログラムではなしに、自然な発達の中で。
私たちは、機械が到底持てない「体」を使って、中でも「手」や「指」を使って、紙の感触(クオリア)を楽しみ、ペンを握り、頭を興奮させ、心をワクワクさせて、紙に手で文字や図、イラストなんかを描いているわけです。
紙に文字や絵をかくときに、機械的につまりは無表情にかく人はいないと思います。
どのような紙に、どんなことを何を使って記すのか。
その営みこそが、人間の人間らしさの根源だと思うのです。
たとえ落書きであったとしても。
つたない落書きも、数千年も経てば、文化遺産です。
考えてみたら、我々人類は(大きく出ました)、洞窟や焼き物や金属にまで、何かしらの思いを込めて、文字や図を残してきたのです。
そして、「紙」という、字や絵をかくのに最適なアイテムを手に入れて、誰もが気軽にいくらでも、記録できるようになったのです。
そんな文化遺産の「手書きの文化」を、その楽しさを伝えていきたい。
デジタルの次は、アナログ、と決まってます。