「自分探し」も手帳でGO!
こんにちは。
てらぴーだよ。
風が強いと体感温度が下がる下がるの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
時折小雨も降りましたが、県立大の図書センターで読書。
今では石川県の本屋さんには(たぶん)置いてない貴重な雑誌「週刊金曜日」を読むために。
これだけじゃないけど、これだけのために通ってもいいくらいだ、と思います。
その「週刊金曜日」の1月10日号に特集として、武道家で思想家の内田樹先生のインタビューが掲載されてました。
で、むさぼり読む。
もう「世の中」のあれこれを考える時の補助線としては、内田先生のご著書を読んでおけばまず間違いないでしょう。というくらいに私淑しております。
そのインタビュー記事の中にこんな一説がありました。
(引用ここから)
「自分探しの旅」とか、「自分らしく生きる」とか、「ベストワンよりオンリーワン」とかいう言葉はどれも「自己同一性を早く決めて、決めたらそこから一歩も出るな」というメッセージを言外に発している。先ほどの「分際をわきまえろ」と同じです。その自己限定の命令をあたかも成長の目標であるかのように設定している。
(引用ここまで)
そう述べて、「自分らしさを貫け」というのは「成熟するな」と同義だとおっしゃるのです。
ここで言う「成熟」とは、「変化し複雑化すること」なのだとか。
その上で、「自分らしさなんてどうでもいい。大事なのは成熟し、複雑化すること」と発言されています。
いわゆる「自分探し」への批判的な言動の根拠が少しわかった気がしました。
内田先生に限らず、「自分探し」とか「自分らしく」という言葉を嫌っている言論人は多いと思います。
著書のタイトルに「自分探しはいらない」とかつけている人もいるほどです。
その一方で、「自分らしく生きる」とか「自分探しの旅について」書かれたテキストもまた多いと思います。
どっちなんだ?
てらぴーは、ここ数年、「自分探し」に迷い込んでいます。
これまでしてきたことの意味が分からなくなり、「じゃあ、自分が本当にしたいことは何か」と問うてもはかばかしい答えは見つからず、迷走を続けてます。
自分探しは、自分の個性を再確認することだと思うのです。
誰でも「その他大勢」ではありません。
まあ、個性的な誰かによって「そんなのその他大勢だよ」と言われるかもしれませんけど、それでも、「自分らしさ」はあると思うのです。
もし誰かから、「お前はこの服を着ろ」と言われて、その服が気に入らないのなら、拒否できる、いや拒否すべきだと考えます。
それぐらい自分で選びたいから。
あの人はこの服が好きかもしれないけど、自分はこっちのほうがいい、そうした選択基準は常に自分にあるでしょう。
服はこれ、靴はこんな風で、髪形はこう、・・・そうした積み重ねが「自分」を形作る。思想信条でも。
そのような多様性を認めることが「より良き社会」ではないかと思うのです。
僕たちは、物心ついたときには、いつの間にか様々な「引力」に囲まれています。
それはあまりにも身近でしかも強いので、そこに「自分」を見出しますが、それは誰かさんから借りたかりそめの上着かもしれません。
でも大丈夫、それが本当の自分ではないと気づいたなら、脱ぎ捨てればいいだけ。
そうやって少しづつ、自分というものが沈殿していく。
なので、複雑化することすなわち成熟することと、自分らしく生きることとは矛盾しないと思うのです。勘違いしてるかな?
とりあえず、自分と向き合うために、「好きなものリスト」を作り直し中。
かけがえのない自分をハグしよう。