手書きは文化、次世代につなげましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

恐ろしく寒い夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今年一番の寒気かも。

 

でも降るのは、あられか雨。

 

それでも、この雨あられは、大陸や日本海で湿った空気となった季節風が降らせていることを考えると、何とも雄大な気分がしてきます。

 

それにしても寒い。

 

雪が降ってきたので書いている文字が濃くなった、という意味の短文がありましたけど、そのうち、何のことやらわからない世代が現れるのでしょうか?

 

「紙に手書き」もやがては、無形文化財に入れられるのかな。

 

中学生くらいの生徒が、「今日初めて自分の名前を手で書きました」とか感激している未来はもうすぐそこ?

 

日本の場合は、習字とかあるので、そう簡単には廃れないでしょうけど、心配ではあります。

 

でもそのうち習字も、プログラミングで処理するようになるのかしら。

 

昔は、「間違えた漢字をノートに10回ずつ書く」という恐ろしく非生産的でめんどくさい罰ゲームがありました。

 

漢字を読めない方々が、総理大臣とか副総理をやっていらっしゃるので、そのうち、漢字なんて書けなくても読めなくても実社会では困らない、その証拠に見なさいあの人たちを、(その向こうには国会議事堂が)と言われるようになるのかもしれません。

 

明治の初めには、本気で漢字どころか日本語廃止論まで出たと聞いてます。

 

今でもたまに、日本語なんかやめて英語でいいじゃないかという議論がありますよね。

 

グローバルを取り違えていると言わざるを得ません。

 

日本語はとても柔軟だと思います。

 

縦でも横でも書けるし、外来語を混ぜて使うのもお手の物。

 

外来語、特に英語をそのままではなしに、日本語みたいにアレンジした「和製英語」も枚挙にいとまがありません。

 

日本語の豊かさを手書きとともに伝えていきたいものです。

 

そのためにも、モニターやキーボードをわきに置いて、手で字を書く時間が、特にお子様には必要でしょう。

 

習字の時間の拡大を!

 

お手本のような「整った完成された文字」ではなくても、個性的な、どこか武田双雲的な迫力のある文字でもいいではないですか。

 

習字でも、ゆる文字とか、筆文字とか、必ずしもお手本通りではない字体に、人気も集まっているようです。

 

絵手紙のあの文字みたいに、ちょっとあるいはものすごく崩した文字に、愛着もまた湧くのでしょう。

 

ペン習字も流行っているようですが、みんながみんな、お手本通りに同じ字を書かなくてもいい。

 

ワープロじゃないんだから。

 

イラストで「ヘタウマ」というのがありましたけど、文字にだって、「ヘタウマ」がああっていいはずです。

 

ワープロでは表せない個性というものを、手書きなら存分に表現できます。

 

手書き風のフォントもありますが、自分ならではの個性を文字に込めてもいいのではないでしょうか。

 

手帳やノート、野帳に、文字を書くたびに、自分の字を進化させるのもまた、楽しい修養に違いないのですから。