AIに負けない、手帳に手書き
こんにちは。
てらぴーだよ。
空気はまだまだ冷たい夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
AIはどこまで進化するのでしょうか?
そのうち、手帳の世界にまで進出してくるのでしょうか?
アレクサだかシリだか、ワトソンだかトマソンだかなんだか知りませんけど、スピーカーに向かってタスクを吹き込めば、最適な1週間のスケジュールを組んでくれるようになるのでしょうか?
デジタルな人たちは、まだ紙の手帳かよとさげすむかもしれません。
確かに、スケジュール管理だけなら、グーグルなんとかで十分対応できそうです。
スケジュール管理であれば。
でも、テクノロジーというやつは、人間に合わせているようで、自分たち、つまりテクノロジーに合わせるようにそれとなく強要してくると思えてなりません。
例えば、コピー機。
書類などを複製するのに便利な機器ではありますが、その使い方においては、人間の側に使用法を強いているのではないでしょうか?
コピーしたい書類をただコピー機の上に置いて、「あとはよろしく」と言ったって、コピーは完了どころか1ミリも進みません。
しかるべき使用法の順番を守って適切に、つまりはコピー機側のやり方を正確に行う必要があるのです。
ガラス面のどこに書類を置くかから始まって、紙の大きさ、枚数、片面か両面かなど、コピー実行ボタンにたどり着くまでに、いくつかの工程があるわけです。
そしてその工程はすべて、コピー機側からもたらされたもの。
言うなれば、一方的に「このように使うように」と下されたものなのです。
コピー機を導入するにあたって、使う人間の側との話し合いなど持たれたことはありません。
ですから、コピー機と言えども、人間が使っているようで、実はコピー機に使われているのではないか。
そのような疑義を感じずにはおれないのです。
なので、スケジュール管理にしても、こちらからのリクエストよりも、あちらからのすなわち、機械の側からの「こうしたい時はこうしなさい、選択の余地はありません」といった「トリセツ」が、まるで全面的に正しいこととして受け取られているのではないでしょうか?
機械を使っていたつもりが使われていた、よくある話ではあるものの、「考える葦」でいたいのなら、自分の選択権を譲り渡すべきではないと思います。
そのうちに、スケジュールの最適化も、ただタスクを並び替えるだけでなく、「指示」が加わるかもしれません。
アマゾンやYouTubeなどでの「これこれを見た人はこれこれも見ています」みたいに、「これこれのタスクをこなした人は、これこれのタスクもしています」というように、タスクの「提案」までするように進化するかもしれません。
「これをした人にはこれがお似合いです」とか「これができるのならこれもしましょう」とか、さらには、「このスケジュールはあなたにふさわしくないのでキャンセルしました」とか、「この映画よりこの映画のほうがあなた向きです」などとまで踏み込むかもしれません。
機械とのお付き合いには、適度な距離感が必要です。
AIの進化が毎日のニュースをにぎわせる一方で、人間であることの尊厳の価値もまた上がっていると思います。
ありきたりな言い方ですが、「自分の頭で考える」、そこは手放すべきではありません。
手帳に手書き。
デジタルの次は、アナログです。