もしかしたら、手帳の大きさが考え方や感じ方を規定しているかも
こんにちは。
てらぴーだよ。
晴れ間が覗いてもまだまだ空気が冷たい夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
行進並みに張り切って歩こうとすると、頭の中でジャッキーチェンの『プロジェクトA』のテーマが流れるのは、私だけではあるまい。
どうも、ほかの老人を見ていても、皆さん歩き方がすり足。
しかも1歩1歩が小さい。
転んで骨なんか折ったりしたら、寝たきり一直線ですから、気をつけるに越したことはありません。
体の具合は、頭や心の働きに直結しています。
ですから、どんな風に考えるのかとか、どのように捉えて感情を持つのか、といった精神活動といいますか知性の在り方というものに、体も参加しているはずなのです。
体感なくして知性なし。
したがって、AIが人間並みの知性を持つことはないと思います。真似は出来ても、ね。
その、体を使った精神活動の一つが、紙に手書きの手帳生活。
どんなにデジタルが進んでも、紙の質感や手書きのクオリアは廃れることはないでしょう。
さてその手帳の、最近のトレンドが、A5サイズにあるらしいとは昨日のブログ。
大きすぎず小さすぎず、携帯にも便利、自宅のテーブルは言うに及ばず、仕事場の机、カフェのカウンターなどでも気軽に広げられて邪魔にならないサイズ、と言えば、A5をおいてほかにあるのでしょうか。
「いやないかっこはんごかっことじる」を我慢しました。
小学生のころから、ノートと言えばB5だったはず。
でも広げるとB4、ちょっと面積が大きいかな。何もないテーブルとか、きちんと片付けられている机ならまだしも、カフェなどの小さめのテーブルだと、広げては使えません。
そんな事情を背景に、使い慣れているはずのB5よりA5に人気が集まるのでしょうか?
それとも「手帳」という商品の特性で、コンパクトさが前提だから、A5あたりに落ち着いているのでしょうか?
手帳売り場では、ほとんどの手帳が、B6かA5であると思います。
もちろん胸ポケットに入るような、いわゆる「手帳サイズ」なものもありますし人気も支持もありますが、何かを書こう、書くことを楽しもうとするならば、やはりB6かA5に行きつくのでしょう。
A5だと、普段使っている書類の半分の大きさ、見慣れたコピー用紙の2分の1、そんなサイズ感も、A5に引き付けられる理由としていいのかもしれません。
B6より小さい手帳だと、単語は書けるものの、文章を書き連ねるのは難しいですよね。
普段のメモは野帳一択!のてらぴーも、野帳に長々と日記風の文章を書いてますが、何せ広さがほぼ「1万円札」の大きさ。
長い文章を書いたり本から書き写したりでは、すぐに改行改行です。
慣れましたけど。
でも時折り思うのです。
手帳やノート、紙などの大きさ広さって、考えていることや感じていることに密かに影響していないかって。
その証拠に、時折り無性にA4のノートやその見開きであるA3に、考えていることをどこまでも書き連ねたいという欲望が湧き上がるのを抑えることができません。
で、ひとしきり書き連ねるわけです。
慣れているとは言え、小さなスペースでは、考え方も感じたことも文字にあらわす前に、委縮してしまうのかもしれません。
なので、手のひらに乗る大きさ(小ささ)よりも、ノートと認められるA5あたりの大きさを選んでいるのではないでしょうか?
自分の考えを小さくまとめないで、ときには思いっきり書きなぐりましょう。
でも、メモは野帳がおすすめです。