江戸時代、矢立があったので、外でも字を書けた

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

これが「寒の戻り」か!というぐらいに寒い夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

恐ろしく寒いけれど、その分月は冴え冴えと輝いている。

 

桜は満開だというのに、日が落ちるとこんなに冷たいなんて。

 

その桜も、明治になってから普及した「ソメイヨシノ」で、ということはつまり、江戸時代以前の日本人は、もっと色の濃い山桜をめでていたということになります。

 

落語でおなじみの「長屋の花見」というのがありますけれども、あれの桜も今のとは違っていたのです。

 

江戸時代までと、その後の明治以後では、人々の生活もいろんな面で変化しているようです。

 

よく知らないのですが、ローランドとかいう金髪の、でも正真正銘日本人の方が書かれた書物になぞらえて言うならば、

 

江戸か、江戸以後か

 

ということになりましょうか。

 

「伝統」と言われているものでも、調べてみると明治になってから始まった習俗も多いと聞きます。

 

神社への初詣もそうらしいです。

 

明治の「廃仏毀釈」までは、神仏習合ということで、お寺と神社の区別ははっきりとはしていなかったらしいのですね。

 

なので、今でも、お寺なのに神主さんがいたり、お寺なのに鳥居があったりするところもあるそうです。

 

どうしても我々は、今ある形をもうずっと前からそうだったと考えがちですけど、意外と歴史が浅かったりするのです。

 

手帳やノート(帳面)の類も、明治から始まるんでした。

 

手帳は、かの福沢諭吉が、遣欧使節渡航した際、アメリカかどこかで買い求めたらしいです。

 

ノートも、今のレポート用紙みたいにバラだったとか。

 

それを後で今見るようなノート、つまり冊子みたいに製本していたとか。

 

筆記用具も筆が基本でした。

 

屋外でも使えるように、筆用のケースに墨汁をしみこませた綿か何かを添えた「矢立て」というペンケースもありました。

 

結構アウトドアで字を書いていたのかもしれません。

 

付箋も、その昔は「不審紙」と言って、小さい紙片をメモ用にして、追記や修正なんかを糊で張り付けていたようです。

 

当時ですからでんぷん糊でしょうけど、基本は今の付箋とあまり変わらなかったと言えそうです。

 

大きいものを小さくして、紐の先などに結び付けた「チャーム」というアクセサリーがありますが、江戸時代は「根付」と呼んでいたようです。

 

本来の用途から外れて、小さくなって、しかもかわいらしい修飾品になるのは、今も昔も変わらないということでしょうか。

 

日本人は昔も今もかわいらしいもの好きなのです。

 

江戸時代に、もっと書く文化が浸透してたら、いろんな形の冊子(ノート)が生まれていたことでしょう。