ネット学習では培われないノートの使い方

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

外に出たけど人には近づきたくない夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

散歩に出ては見るものの、カフェなどのお店には入りたくないし、できるだけ人には接近したくないしされたくない。

 

金沢の感染者が増えている。

 

午後に、タイ焼きを食べようとたい焼き屋さんに行ったけど、待ってる人たちが密集していたので諦めました。

 

人気があるお店もこういう時は困りもの。

 

ドラッグストアーもレジ前は行列でした。

 

みんな、もっと離れようよ。

 

テレビの視聴時間が伸びているそうです。

 

レンタルDVDもそうなのかな?

 

YouTubeなんかも増えていそうです。

 

ネット学習のコンテンツなども無償で提供されているらしいし、このまま何か月も過ぎたら、「学び方」変わりますよね。

 

「学力」をつけるだけならば、学校に行かなくてもいいじゃん、てなことになるかも。

 

そんな時代に、集団授業の意義はどんなところに求められるのでしょうか?

 

ある課題に関して、自分で考えて大勢の前で発表するとかですかね?

 

「さすがにこれは一人ではできんやろ」という学びをどれだけ魅力的に提供できるでしょうか?

 

知識の伝達なら、ネットで十分対応できます。

 

実際は、その子その子で集中力とか理解力が違うので、サポートが必要でしょうけれど。

 

ノート好きとしては、もっと字を書く時間を増やしてほしい、と思います。

 

タブレットなどで、ネットを使っての学習では、字を書くことも少なくなるのではないでしょうか?

 

知識を一方的に受け取るのなら、これまでの授業と変わりません。

 

黒板の字を書き写すのが、モニターの板書を書きとるのに変わっただけ。

 

そうではなくて、字を書きながら考える、字を書きながら自分の意見をまとめる、どんな順番で発表するのか書いて書き直して仕上げていく。

 

字を書くことは、実に考えることだからです。

 

課題に対して、どんな風に考えたのか、その過程を相手に説明する。

 

これは人対人でないとうまくできないでしょう。

 

その子に合ったヒントを出すことも、その子のノートを見ないとできません。

 

どんなところでつまづいているのか、どこが素晴らしいのか、どこをどう直せばもっとわかりやすくなるのか。

 

いわば、ノートをはさんで生徒と対話するのです。

 

講義とは違った学びがそこでは展開されるでしょう。

 

ノートは何も、書き写すだけの道具ではありません。

 

後で見返して覚えるだけの暗記ノートでもないのです。

 

ノートに、自分の考えを広げることができます。

 

最初はうまくできなくても、買いを重ねるごとに、上達するものです。

 

時には、書いている本人も気がつかなかったことが表れることもあるのです。

 

そして、そうしたイレギュラーな書き込みが、思わぬ創造のヒントになったりします。

 

もうわかっていることだけをただまとめるのなら、教科書か参考図書をコピーして貼り付ければいい。

 

どんなにつたなくても、自分の思考の痕跡が残っているノートは、宝物となるに違いありません。

 

何冊も重なった時、自分の成長をも見通すことができるのです。

 

自宅学習を機に、新しいノートテイキングが広まればいいな。