コロナ後、社会は元に戻れるのか
こんにちは。
てらぴーだよ。
早く収まってほしいと願う一方で、感染が終息したら、世界は私たちが暮らしている社会は「元に」戻るのだろうか?
時間の流れを前後に分かつ「何々前」と「何々後」という言い方がある。
例えば、「戦前」と「戦後」と言えば、たいていの場合、第2次世界大戦(15年戦争)の前と後のことだ。
それが大きな時代の画期だったことは、誰もが認めるだろう。
同じような言い方で、「9・11以後」という捉え方もある。
アメリカ合衆国が、同時多発テロに見舞われて、国家対ゲリラ組織という非対称の戦争というものがあらわになったのだ。
わが国でも、「3・11以後」という言い方がある。
甚大な被害を出した東北大震災で、社会が変わったのだという意見だ。
けれども、今回のコロナ禍は、これまで以上に大きくなおかつ立体的だ。
まず水平面では、ほぼ全世界に感染が広がっている。
その広がりは、第2次大戦をしのぐだろう。
感染者を出していないあの国は、指導者と軍人と政治犯しかいないので、「国民」の死者などはあり得ないのだろう。
「9・11」は当事国以外に損害は出ていない。
「3・11」だって、放射性の排水の問題はあるものの、ほぼ国内問題だ。
それらに対して今回の感染の広がりは、戦争など関わっていないのに、ヒトやモノのグローバルな展開が引き起こしている。
世界はつながっているということをまざまざと見せつけているようだ。
また、各国や地域、集団内で、「上から下まで」感染が広がっている。
首相といえども、王族でも、有名人でさえ、感染からは逃れられない。
「自分は関係ない」と引きこもっても無駄なのだ。
等しく皆、ウイルスの感染の対象になってしまっている。
水平的にも、垂直的にも、未曽有の広がりを見せている。
その影響はまず経済に出ている。
これほどまでにヒトやモノの移動が制限された事態はかつてなかったものだろう。
その影響はこれから本格的にやってくるのかもしれない。
さて、今回のパンデミックがおさまりを見せたとして、それで元に戻れるのか。
日本だけに限っても、例えば「働き方改革」は、どうなるのだろう。
自宅で仕事をするテレワークは、自宅でも仕事ができることを示したのではないか。
今まで、そんなことはできないとか、やっぱり出社しないと不便なのではないかとか、抵抗があったとしても、今回の処置で、すべての職種ではないけれど、できる職場、職業も分かってきたのではないだろうか。
特に、満員電車に押し込まれて出勤するとか、遅くまで残業するとか、それをなくすのは無理だと思ってたけどやってみたらできた、という職場も多いのではないかと思われる。
コロナもおさまって、明日から通常に仕事だとなった時に、「朝早く起きて、殺人的な混み方の電車に押し込まれ出社するんだ、ああ、日常に戻って幸せだ」とどれくらいの人が思うのか。
学校だって同じだ。
知識を得るためとか、問題を解く力をつけるためなら、学校に通わなくてもいいのではないか。
学校は学校で、自宅学習ではつけられない「学力」とは何か、問題を解くだけに終わらない学力とは何か、考え直してみるべきだろう。
「金太郎飴の大量生産」と揶揄されてきた、学校教育のマイナス面を払拭できるかもしれない。
このまま、ただ「元に」戻るのではなしに、これからの社会の在り方を考えたときに、何が必要でないがいらないのか、本当にそれはできないのか、どうしたらできるようになるのか、いろいろ考える機会を与えられているように思える。
これまでの、「我慢」「義務」「犠牲」を強いる社会から、自分のいいところを生かし、できないところは補ってもらえるジグソーパズルのような社会にするために、このまがまがしいパンデミックがあったのだとしたら、人類も捨てたもんじゃないと思えるではないか。