「今」がプラスなら次の「今」もプラス、なので未来や過去はない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

お店が少しづつ復活している夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

散歩に出て、お休みだったお店が開店しているのを見るのは、うれしいものです。

 

久しぶりに少し遠出をして、新しいお店を発見することもあります。

 

人の流れも、緩やかに回復してくるのでしょうか?

 

コロナ前の「日常」がそのままの形で原状復帰することはないにしても、メニューの看板が出ているのを見て、気持ちも華やぎます。

 

何も考えずに、軽い気持ちで喫茶店などに入って、本を読んだり手帳やノートに書きものをしたりしていたのに、今はまだそこまでの回復には自分の中では、なっておりません。

 

けれども、不安に焦点というか意識を向けないで、「今」の楽しいことに視点を合わせましょう。

 

「今」の連続が、生活であり人生なのですから。

 

今の気持ちが、そのまま次の「今」に引き継がれる。

 

だからこそ、今を楽しくして次にバトンタッチする。

 

それの繰り返しなのでしょう。

 

ですから、「今」を楽しめないというか、マイナスなことで心や頭をいっぱいにしていると、その「マイナス」が引き続き次の瞬間に受け継がれます。

 

そうなるとどうなるのか。

 

例えば「不安」でいっぱいなら、不安の次の瞬間も不安なので、不安不安不安が続いていくだけです。

 

すべては自分の考え方次第、とはよく言ったもので、その連鎖をマイナスにするかプラスにするかは、ほかでもない自分が決めているのですから、自分が浸りたい方を選択すればいい。

 

逆に、自分がとある感情でいっぱいになっているのなら、少し前の「今」にその感情を選択したのでしょう。

 

誰もあなたをコントロールしたりはしていません。

 

自分の操縦桿というかコントローラーは、常に自分の手の中にあるはずですから。

 

そうやって、どこまでも「今」の連鎖が続いていくだけです。

 

ということは、実は「過去」や「未来」なんてない、ということ。

 

いつも「今」があるだけ。

 

人生は、実に「今」の集合体だったのです。

 

なので、次の「今」を生きる自分に、「楽しい」をバトンタッチしたほうがお得でしょう。

 

もちろんお好みなら、「暗く沈んだ自分」を選択もできますけど。

 

今日も「今」の連続だったはず。

 

その中にどんな「幸せの種」が見つかるでしょうか?

 

起きた事実だけを拾い集めるのではなく、その事実に「楽しかった」「有意義だった」「役に立った」という色を塗ってみてはいかがでしょう。

 

あるいは、楽しいこれからのためのありがたい教訓とするとか。

 

ネガティブを拡大しないためにも、オセロのように、ネガティブをひっくり返しておきましょう。

 

そのコツは、どこまでいっても、プラスに受け取ること。

 

あるいは、能天気な勘違いをすること。

 

一つだけの真実があるのではなく、人の数だけの勘違いがある。

 

その勘違いを、ある時は解釈と呼んだり、ある時は意味付けにしたり、またある時は個性にするなど、自分の中の固定したもののように考えていますが、なんのことはない、自由に変えられるものなのでした。

 

自由に変えられるものなら、自分にとって都合がいいものにしたほうが、何かとお得ではないでしょうか?

 

勘違いを日記もしくは手帳に書き込んで、勘違いをしたまま眠りにつくとしましょうか。