手帳を見て、今日どれだけ自分の人生の主人公だったかを考えてみる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

日中はもう夏!だけど、まだ肌寒い夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今季初の半そでシャツだったけど、夕方になると肌寒くて、長そでに替えました。

 

とはいえ、季節は確実に変わってきています。

 

この動きは逆には進みません。

 

同じように、コロナ禍で訪れようとしている変化も、あらがえないほどの力を持つのかもしれません。

 

こんな時こそ、自分の立ち位置をふらふらさせないで、迫りくる変化に乗っていきたいものです。

 

悪くなる要素もあれば、良くなる要素も必ずあるはずですから。

 

ある意味、自分で選べるようになったのかもしれません。

 

生活の仕方全般を、すなわち生き方を。

 

あなたは、今日どれくらい自分の人生の主人公でしたか?

 

今日起きている時間のうち、どれくらいが自分で選択できるのでしょうか?

 

時には、そういうふうに振り返ってみて、主人公度を確認してみるのもいいかもしれません。

 

「しなければいけない」時間や仕事の量は、どれくらいの割合を占めるのでしょう。

 

そしてそのことが、どれくらいのストレスとなっているのでしょうか?

 

「しなければいけない」仕事ばかりでも、ストレスにはならない場合もあれば、好きでやってるはずなのに、もやもやが消えないというケースもあるでしょう。

 

そこに我慢はどれくらいあるでしょうか?

 

1日を振り返って、ストレスになるような我慢が増えていたり多くを占めるようであれば、仕事を見直す機会なのかもしれません。

 

もし見直すことが難しいと思うのなら、そこにはどんな「考え」があるのでしょう。

 

「自分だけ好きなことばかりやるわけにはいかない」

 

「我慢をしてこそ大人であり一人前」

 

「ほかの人も同じなので文句は言えない」

 

「この仕事があるから食っていけるのであって、仕事をやめると路頭に迷うだけ」

 

いろんな捉え方があるでしょうけど、ストレスを抱えたまま仕事をしていてもつらいだけですし、場合によっては成果もあげられなくなるかもしれません。

 

だからと言って、いきなり仕事をやめるのもリスクが大きいでしょう。

 

そう簡単には処方箋など出せないのです。

 

小さくても、声を上げていくことで、変化のうねりのようなものが生まれてくるかもしれません。

 

コロナ前の働き方でいいのか、といった下地は共有されていると思います。

 

同じように、政治に対しても、教育についても、毎日の生活にだって、根本的な見直しが求められていくことと思います。

 

コロナの終息は、元に戻ることではありません。

 

より快適になった生活のために、変化を受け入れる勇気が試されているのでしょう。

 

こういった問題の考察の最後には、

 

「私たち一人ひとりが考えなければなりません」的な常套句がつきものですけど、今回ほどそのことが痛切に感じられる場面もないでしょう。

 

まさに、一人ひとりが声を上げて、より快適なほうへと舵を切らないと、元に戻ればそれでいいという、「痛み」に鈍感な人々もいますから。

 

手帳を出して、1日にやったことなどを振り返り、

 

「これでいいのかよくないのか」を

 

見直してみましょう。

 

案外改革の力は、誰にでも備わっているのかもしれません。

 

自分の人生の主人公になりましょう、手帳を使って。