手帳の新しいページに、新しい月への期待を書こう
こんにちは。
てらぴーだよ。
いよいよ明日から6月かの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
お昼に外出したら、すごい車の量でした。
どちらの車線も、数珠つなぎとはまさにこのこと。
新しい6月は、単純な今日から明日へのバトンタッチではないのかもしれません。
いわば、歴史的な月替わり。
このまま落ち着くのか、それとも「第2波」がやってくるのか。
いずれにしても、多くの人の心情として、あの自粛はもうこりごりという気持ちがあるのかも知れません。
それを反映しての、今日の車の量だったのでしょう。
新しい生活が、新しい現実を連れてくるのでしょうか。
日記や手帳の準備はいいですか?
スケジュール管理だけでなく、生活を楽しくする工夫を手帳を中心に考えてみましょう。
思わゆコロナ禍で、人生が一変した人もいると思いますし、人生の在り方を考え直し中という人もいることでしょう。
自分から進んで考え直した、または直し中という人もいれば、職場や生活が変わってしまって、否応なしに考えざるを得なくなったという人もいることでしょう。
考えてみれば、「このまま人生が進んでいく」という、エスカレーターのようなものが、幻想だったのではないでしょうか。
正社員だから安心とか、順調に出世しているから安泰など、実は何の保証もなかったのでした。
けれども、天災は予知しがたいとしても、今のこの日本で、例えば戦争などのとんでもない事態も起こらないだろうという、根拠のない安心感にどこか浸っていたのではありませんか。
コロナ禍がなければ、3月4月には、今年のゴールデンウィークはどうしようという例年通りの話題に、日本列島全体が包まれていたことでしょう。
政治にしても経済にしても、すっきりとはしないものの、それなりの歩みを見せていたのではないでしょうか。
教育に関しても、様々な問題は抱えつつも、次々に新しい児童・生徒をさばくの精一杯で、立ち止まって考えてみることもできなかったでしょう。
コロナ禍がなければ、「9月入学」の議論もこれほどまでに盛り上がることはなかったと思えます。
大都市圏、特に首都圏の「満員電車」に関わる問題も、「大変なのはわかるけどすぐには解消できない」として、いつも先送りされてきたのではないでしょうか?
コロナは、私たちが抱える社会の在り方に関する潜在的な問題点を浮き彫りにしてくれました。
だとするのなら、コロナがおさまっても、議論を終える必然はない理屈でしょう。
働き方にしても、次世代をはぐくむ教育の問題にしても、世界との関係の持ち方にしても、そして私たちの日々の生活の在り様にしても。
「このままでいいのか、良くないのか」
その選択の権利は、私たち一人ひとりにあるのだということを改めて学んだように思います。
このチャンスを逃す手はない。
自分の人生の在り方を再構成してみましょう。
おそらく、コロナ前で考えていた理想の人生というものと、コロナ後というかまだ後とは言えませんけど、withコロナで考えたそれとでは、ずいぶんと違ったものになることと思います。
というわけで、手帳の6月のページ、またはノートを用意して、理想の在り方を書きなぐりましょう。
「しなければいけないこと」ばっかりのスケジュールではなくて、自分の欲望全開のスケジュールを作ってみましょう。
月が替わるから何かが変わる、というものではありませんが、変わるのを待つのだけは避けたい態度ではないでしょうか?
「今から書くことだけが人生に現れる」としたら、何を書きますか?