デイリー、日記を書く観点は、「頭」「体」「心」の3点
こんにちは。
てらぴーだよ。
もう本当に夏だの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
生きるということは、インプットとアウトプットだなあと思い、手帳のデイリーの右半分は日々のそれらを記入するようにしています。
頭、体、それに心へ、今日どんなインプットをして、それらからどんなアウトプットをしたのか。
要は、自分に与えた「栄養」の中身を書いて、また一方、どんなことを出力というか表に出したのかを書いていく欄にしているのです。
例えば、頭。
自分の頭を育てるために、何を与えたのか、つまりインプットしたのか。
頭の栄養は、例えば読書でしょう。
数冊同時並行で読んでいることが多いので、書名までは書きませんし、時間も特に記録しません。
雑誌や新聞の類も、読んだかどうかだけを簡単に記します。
でもこれだと、毎日のように、「読書」とか「雑誌」、「新聞」「ネット」などの単語が並ぶだけなので、努めて書名とか入れたいのですが、めんどくさいを理由にそのままです。
どのような読書をしたのか、何からどんな情報を得たのかなど、詳しいことは「野帳」に記録しているのですけど、改善の余地はありますよね。
最近は、「音読」も書くようにしました。
とある愛読書を、数日前からですけど、1章ずつ音読するようになり、これはこれで頭にもいいことではないのかと考えるに及んで、記録することにしました。
ボケ防止にもなりますしね。
また、昨日のには、「散歩」も書いてみました。歩いている「今」に集中していることが、やはり脳をリフレッシュさせるだろうということで、書いてみたのです。
とにかく、頭(脳)へのいい刺激が、インプット。
逆に、頭からのアウトプットがブログです。
また、自分にとって、「野帳」をどれくらい書いたのかも、頭の活動だというわけで、野帳に関しては、書いたページ数も記入しています。
こういうのは、集計を取ろうとすると数字を増やしたくて、気にするようになりますから、いい循環が生まれていると思います。
さて、体へのインプットは、睡眠や食事が中心です。
睡眠は、時間だけでなく、夢を見たとか眠りの質も明らかに分かるときは書き記すようにしています。
加えて、昼寝をしたとかの特記事項を書く時もあります。
夢に関しては、特に覚えている場合で、これはすごかった(いろんな意味で)という時は「野帳」にできるだけ詳細に書き残すときもあります。
たいがいシュールなのと、すぐに忘却の彼方に消えてしまうので、後で読み返すと、頭おかしくなっちゃったんじゃないか?と思うことがしばしばです。
食事は体を維持する基本なので、できるだけ何を食べたのか、間食も含め書くようにしています。
飲み物についても。と言っても、飲むのはほうじ茶か珈琲ぐらいしかないのですけれど。あ、あとたまに入れる紅茶。
体からのアウトプットは、運動とそして、トイレ。
還暦を過ぎると、ひたすら筋肉が落ちていきます。それはもう怖いぐらいに。
なので、常に負荷をかけないと、筋肉は維持できないのでしょう。
基礎代謝が落ちると「寒がり」にもなるようですので、さらなる筋トレが望まれるところです。
トイレは、まさに体からの「便り」ではないでしょうか?
「小」なのか「大」なのか、回数と、特に「大」の場合は、自分なりに書くと決めていることがあります。
体の異常は、毎日のお便りに反映されるとの信念から、気にしています。
最後に「心」ですが、これが難しい。
朝起きてから夜寝るまで、仏頂面で過ごしているわけでもありません。
ですから何かしらの「気持ち」の動きとか、感情の変化はあるものの、書き記すのが難しい。
イラついたからと言って「イラついた」とだけ記入しても、後で読んで何のことかわかりません。
かと言って、「原因」から書こうとすると、長くなりすぎることもあるでしょう。
ただし、感情は大切なものだと思うので、その時どんな気持ちになったのかについては、書き記すようにはしています。
とても大きな感情の動きそれはたいていの場合、不安とか罪悪感とかのマイナスであることが、僕の場合は多いのですけど、そういう時も「野帳」に詳細に書きます。
原因(と自分が考えること)から始まって、今の気持ちを細かく分解していくとか、自分のリクエストとか、いろいろ書きます。
書くことで落ち着くときもあれば、対処法が見えてくることもあります。
さて、さらに難しいのが、心のアウトプットです。
心を使って何をしたのか?
心から出てきたものは何か?
これもやはり「感情」ということになるのでしょう。
あるいは「感謝」でしょうか?
自分の心とどのように付き合っていけばいいのか、「瞑想」以外に何があるのか。
探求は続きます。
こうして、自分の生活を、「頭」「体」「心」を育てると意識して、デイリーすなわち日記を書いているのです。