手帳に「自由」に「自由」を書こう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

散髪に行った日の夜に、手帳の時間です

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

3か月ぶりくらいに散髪に行きました。

 

散髪屋さんもこのご時世なので、窓を開けっぱなし。

 

時折り、気持ちのいい風が吹き込んできました。

 

意外な効果。

 

毎日の生活は、これといった変化もなく続いていくように思えても、自身の体は何かしらの変化を起こしているのでした。

 

とはいえ、コロナ騒動で、今が「平常」なのか「非常時」なのかも判別とはしません。

 

落ち着いているようでもあり、すぐにまた非常事態となるのかもしれない。

 

そして、それでも日常は進んでいくのです、僕の髪が伸びたように。

 

毎日の小さな変化を楽しみましょう。

 

見渡せば、変化だらけだったりします。

 

散歩に出ると、小さかった稲も、ずいぶんと成長しました。

 

あの稲のどこかで、こうしてみている今も、ものすごい勢いで細胞分裂をしているのでしょう。

 

夜ともなれば、騒がしいくらいのカエルの合唱が聞こえますが、その「歌声」の大きさや声質なんかも、一様ではありません。

 

定点観測しているわけではありませんが、いつも同じところに同じカエルがいるわけではないので、鳴き声の響き様も変わっているのでしょう。

 

諸行無常とお釈迦様が見抜いたように、この世界の何もかもが、ひと時も同じではありえない。

 

皆姿を変えている。皆、流れている。

 

私たちの体も、昨日とは同じではなく、脳の神経細胞の繋がり方だって、日々変化しているはずです。

 

二十歳を超えると、毎日何億という神経細胞が死滅するという話しを読んだことがあります。

 

その一方で、年よりには「人生経験」という、新しいシナプスのネットワークが広がっているものと信じたい。

 

そして、日々の経験が、心になにがしかの蓄積をもたらしている。

 

と考えて、少なくとも昨日よりはまともな人間になっているのではないか。

 

だとしたら、今日この日の自分が、自分史上最高傑作だ、とは言えまいか?

 

たとえ、そうではないにしても、自分の至らなさを前面に押し立てて、何かの言い訳にしてはならないのでしょう。

 

弱点克服より、長所進展。

 

そうと決まれば、ノートに自分の「好き」「できる」「得意」を書き出して、「これから」を展望しましょう。

 

今の世の中、固定されたものはないと腹をくくり、手帳を開きましょう。

 

1週間や1か月を俯瞰して、自分の自由になる時間がどれだけあるのか。

 

仕事は、食べていくだけの「ライスワーク」になってはいないか。

 

それを「ライトワーク」や「ライフワーク」へと進めることはできるか?

 

もし自分が、何かの犠牲になっているのなら、その対価はそれに見合うものであるのか?

 

「コロナだからできない」と考えるのではなく、「コロナでもできそう」な道を探りましょう。

 

何をどうすればいいのか、「正解」が見えない時代に、いや、だからこそ、「正解」を求めてはいけないのだと思います。

 

誰かの提示する「正解」が、あなたの「正解」とは限らない。

 

多分、私たちは、思っている以上に自由なのです。

 

その自己決定権を存分に発揮して、これからの時代を泳いでいきませんか?

 

他人を信用できない「潜水艦」のようだった私たち。

 

でも実のところ、私たちが乗っていたのが「ヨット」なのだとしたら。

 

晴れ渡った青空の下、風を受けて、どこまでも疾走できますよ。

 

周りにもヨットがいっぱいです。

 

手帳やノートを開いて「自由」に書いているように、書く中身も自由にしましょう。

 

自由に書けるのに、書くのが「義務」や「我慢」ばっかりだったら、楽しめないですよね。

 

せっかくのノートや手帳なのですから、「自由」に「自由」を書き込みましょう。