世の中の出来事をメモしていく中で、自分の意見も育つ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

お風呂よりシャワーだよねの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

日中はもう夏本番、自転車を走らせれば夏休みの気分。

 

青空と入道雲

 

こんな時はお風呂ではなくてシャワー。

 

シャワーなら、日に何度も浴びられる。

 

とはいえ、コロナ。今年の夏は、どうなるのでしょうか。

 

児童生徒学生は、夏休みが大幅に短縮されて、社会全体としても、記憶に残る夏となることでしょう。

 

コロナにまつわる騒動も起こるでしょうけど、当事者になるにせよ、傍観者になるにせよ、流されるままに過ごしては、あまりにももったいないと思うのです。

 

どんな騒動が起ころうとも、自分の生活を崩さないで、対処したいものです。

 

そのためにも自分の「立脚点」を固めておく必要があるかと思います。

 

自分は毎日どんな生活を送っていて、それはどこへ向かうものなのか。

 

「社会人」として、どのように「社会」と接していて、これからどのような「社会」を夢見ているのか。

 

ほっといても僕たちの「社会」は日々なにがしかの変化をしています。

 

そして、その変化に方向性を与えるのが、僕たちの気持ちだと思うのです。

 

考えてみたら、「社会」なんて実態がありません。

 

どこからどこまでが「社会」なのか判然としない。

 

けれども毎日、様々な「社会」の中で暮らしているわけです。

 

自分が暮らしている「社会」がどんな姿をしているのか、それはお魚にしたら「水」のようなものだから、意識されることは少ないのかもしれません。

 

でも、何かの「事件」で、僕たちはこの「社会」の在り様の一端に直面することがあります。

 

そして事件は、しばしば社会全体での解決を迫るので、個人の思惑ははっきりと出せないこともしばしばです。というより、「より多くの人たちの意見」が取り上げられたりします。

 

そうした傾向は、マスメディアのニュースなどでうかがい知れますが、ともすれば、大切なことなのに素通り可能なほど薄められることがあるのです。

 

もうこれ以上無関心を貫いてはならない。

 

けれども、あまりにも多い「社会問題」を前にして立ちすくむこともしばしばでしょう。

 

そして、誰かに(無意識に)「託す」。

 

でもそれは、無関心よりも悪い選択なのかもしれません。

 

どのようにすれば、自分の毎日の生活と大きな状況、例えば日本が抱える諸問題とか、国際的な諸問題とかが、つながってくるのでしょう?

 

それは、ちょっとした想像力と、日々のニュースの知識。

 

まずは、関心を持つことでしょう。

 

日々接する様々な情報やニュースといったものから、自分が関心を持つものを選び出し、その情報を追いかけると同時に、考え続ける。

 

地道な作業ですけど、誰かの意見に丸ごと乗っかるとか、誰かの意見を自分の意見とする、といった怠惰な態度じゃない分、まともなのだと信じます。

 

その基本はノート。

 

自分が関心を持つニュースを、後ろに流さないようにせき止めましょう。

 

そうした「断片」でも、集まっていけば、自分の見解へと育っていくでしょう。

 

自分の頭で考えることを誰かに譲り渡さないで、自分のコントローラーは自分が握りましょう。

 

私たちは、様々な「つながり」の中で生活しています。

 

そのつながりを少しでも快適なものにしたい。

 

そのために、毎日の生活もあると思うのです。

 

生活の充実に、ノートを活用しましょう。