今日の自分の生活の些細な1行が、「歴史」となるとき
こんにちは。
てらぴーだよ。
梅雨の中休みなのか青空が広がった日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
久しぶりの青空。
湿度が高い分「さわやかさ」は減点されるものの、太陽の照りつきを実感できた日となりました。
湿っぽかった敷布団も干せてよかった。
夏だ。
棒つきアイスをなめながら散歩がしたい。
子供の頃、近所の駄菓子屋さんは、夏になるとアイス用の冷凍庫を出してくるのでした。
それがお店の前に置かれると、「アイス販売しますよ」のサイン。
だから、暑くなってくると、いつその冷凍庫が設置されるのかが、僕たちの話題となるのでした。
今はコンビニやスーパーで、1年じゅう買えますけど、その昔は、季節商品だったのですね。
手帳も、昔というか数年前までは、「季節商品」のようなものでした。
ほとんどが新年から、つまり1月始まりだったので、夏を過ぎたころから、店頭に並んだものでした。
9月を過ぎるあたりから出始め、11月から12月にかけてがピークでした。
それが少しづつ、4月始まりとか、12月始まり、3月始まりと増えてきて、きっちり「12か月」分だけしかページがない方が、珍しいのではないでしょうか?
何月始まりでも、「おまけ」みたいに、数か月分が「増量」されていると思います。
ありがたいけど、一方で、毎年同じ手帳を使う場合、そのダブりの部分は、両方に書くわけにもいかないので、おまけ感消えてしまいます。
フリーのメモページとして、使えないこともないんですけどね。
季節の変わり目などの、生活上の変化も記録しておくと、見比べる楽しみが増えると思います。
今頃だったら、いつ衣替えをしたとか、半そでのシャツを着たのがいつだったとか、夏用のサンダルで外出した日とか、短パンをはいた日、今季初アイスの日、なんかをマンスリーに記入しておくのです。
きっと誰にでも、自分なりの季節の感じ方があると思うので。
毎年恒例の行事ではあるけれど、はっきりといつだったかは、書いておかないと分かりませんよね。
逆にちょっとメモしておけば、去年のを見たときに、天気予報でおなじみの「例年に比べ〇〇日早い(あるいは遅い)」ということが分かって、楽しめると思います。
書いていたことを忘れていても、「こんなことを書き記していたのか」と気づくこともできますから。
ちょっとした、自分の毎日の生活への視線が分かって、おもしろいのではないでしょうか?
手帳や日記の読者は、基本的に将来の自分です。
そして、自分は意外と忘れっぽい。
「今日こんなことがあった」と書き記しても、よほどのことでない限り、書いたこと自体を忘れますから。
だから、1年後とかに読み直してみると、意外な発見とか、こんなことに関心を向けていたんだ、なんてことが分かって、自分認識も進むと思います。
「今日、今季初の麦茶を沸かした、だから、麦茶記念日とする」といった、取るに足りないことでも、書いておけば、すっかり忘れたころに読み直して、「おお、昨年はこの日であったか、今年は少し早かったな」などと、感想が述べられます。
将来の自分に向けて、コメントを求めるのです。
手帳に何も書かないと、ただの白紙で、なんの感想も浮かべられませんけど、何かしら書いておけば、「そうだったのか」と気持ちも動きますし、「なんでこんなことを書いたのだろう」と、去年の自分に突っ込みも入れられるというものです。
いわば、一度書いて2度おいしい記録となるのです。
昨日と全く同じ日というのはありませんから、1行でもいいので、自分の変化、または世間の動きでも構わないので、書き記しておくと、貴重な歴史書になることでしょう。
どんな記録であれ、数万年後の人類が発見したら、「当時」を知る得難い「史料」となっているでしょうから。