「老い」に抗うには「書く」ことから

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ナッツは体にいいらしいですよの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

ナッツの中でも、アーモンドとクルミがおすすめです。

 

とは言え、脂肪分が多いので、食べすぎ注意ですけど。

 

ネットの記事を見ていると、「食べすぎに注意」とは言うものの、いったいどれくらいの量から「食べすぎ」になるのか、今一つ判然としません。

 

体重や体格といった体の大きさや年齢、それに性別や、もしかしたら人種なんかによっても、「適量」というものは変わってくるのかもしれません。

 

年齢を重ねると、なにかしらの不具合が出てくるもの。

 

走行距離10万キロを超えた自家用車よろしく、だましだまし修理をしつつ乗り続けるしかないのでしょう。

 

体の変化は、まだ目に見えて分かりやすい「老い」だと言えましょう。

 

関節の稼働半径が小さくなった。

 

歩くのがゆっくりになる。

 

眼鏡が合わない。

 

トイレが近い。

 

以前よりも怒りっぽくなった。

 

会話で一度で理解できなくて問い返す。

 

などなど、体に関しては、あきらめるよりしょうがない部分もあるのでしょう。

 

問題は認知。

 

判断力や記憶力など、自分では気づかないうちに、何かしらの「老い」が進行していても、一人暮らしで人付き合いもほとんどないとなれば、早期発見は難しいのでしょう。

 

せめては、日記なり手帳なりで、書く生活を心掛けておけば、書く文字の大きさや崩れ具合、一度に書く量など、これまでと比べてどうなのか客観的に分かろうというものです。

 

実は最近、野帳に書く文字の大きさが小さくなってます。

 

野帳の「スケッチブック」は、3ミリ方眼ですけど、その3ミリの「升目」にぴったりおさまるような字を書いてたりします。

 

「書く文字が小さくなる」というのも、老化の表れらしいです。

 

字を書く時の手の動きが小さくなるからでしょうか?

 

これはまずいのではないかと思い、努めて大きめに書くようにはしていますけど、気がつくと、3ミリに合わせて書いてたりします。

 

大きく書こうと思えば書けるので、まあ大丈夫かなとは思ってますけど。

 

時折り思い出したように、何かを綴るのではなしに、毎日その日に起きたこと考えたことなどを書き連ねていくことで、順調な「老い」なのか、ちょっとやばい「老い」なのか、分かろうというものです(と期待している)。

 

齢を重ねて不安なのは、認知症

 

自分でも気がつかないうちに、「ボケ」が進んでいたらどうしよう。

 

まあ、その時は、本人は自覚がないので、平気と言えば平気なわけですけど、周りの人たちにしてみたら、迷惑なばかりなのですよね。

 

そうならないためにも、早期発見ができるように、友人関係を保つということが大事になるのでしょう。

 

定期的に人に会うとか、手紙を書くとかすれば、「最近見ないね」とか「手紙が来なくなった」といったところから、早期発見のきっかけが生まれるかもしれません。

 

はがきでもいいから、定期的に友人に送っておけば、生きてますアピールにもなるでしょう。

 

そのはがきを書くことが、認知症対策にもなるでしょうし、生活に潤いを与えたり、脳へのいい刺激にもなることでしょう。

 

手で書くことで、生活を活性化できるのです。