どんなに賢くなったAIの提案にも、ノーを言おう
こんにちは。
てらぴーだよ。
北陸も例年より9日遅いけど梅雨明けした夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
昨夜、寝られなかったのと月がそこそこ美しかったので、ベランダにアウトドアな椅子を持ち出して、Youtubeとイヤホンで、懐かしの歌メドレーを楽しみました。
いわゆるフォークの世代なので、ガロとかイルカ、かぐや姫、伊勢正三、井上陽水、ばんばひろふみは『イチゴ白書をもう一度』だけ、それから森田童子。
久しぶりに聞きまくりました。
こんなに手軽に、好きな場所でいろんな楽曲が聞けるなんて、あの頃は想像もできなかった。
レコードとカセットの時代でしたから。
大学の3年か4年の時に「貸レコード屋」というのが表れて、「こんなサービス待ってました」と思ったものの、レコードは傷がつきやすいなど、取り扱いには注意が必要なのでした。
人気のある、つまりよく貸し出されているレコードだと、「こことここら辺に傷があります」なんて注意書きみたいのがついてきましたっけ。
それをカセットに録音するのですけれど、どうしても「シャー」というホワイトノイズは避けられず、繰り返し聞くうちにテープが伸びるなどの欠点もありました。
持ち運びも、結構な分量になることも。
楽曲の切り替えも煩わしいものでした。
それが今ではスマホ1台で事足ります。
曲の変更も指一本。
Youtubeだと映像までついてきます。
そのうちAIがもっと賢くなったら、その日の気温や湿度並びにその人の体温や感情なんかを勘案して、その時の感情にぴったりの音楽を流したり、気分を上げてくれる楽曲を自動演奏するようになるのかもしれません。
外れると、煩わしいだけですが。
けれども、AIが「今のあなたにふさわしい音楽はこれです」なんて選曲してくるのもどうかと思うし、それに従って、「ああ、これが聞くべき音楽なのか」と素直に従うのもどうかと思います。
「AIにコントロールされる私たち」までほんの少し、といった感じではないですか。
まるで、「今日は暑くなりそうだから、これを着ていきなさい」と世話を焼いてくれる「お母さん」みたいです。
小さい頃は、気象条件やそれにともなう服装について無知であったにせよ、ある程度の年齢になったら、自分で決められるはずですよね。
服装に限らず、あらゆることに主体性を発揮できるようになるでしょう。
他人の意見を参考にすることはあっても、最後に決めるのは自分です。
とはいうものの、流されやすいのも私たち。
お母さんの長年の経験か、AIのアルゴリズムかはさておき、他人の意見を鵜呑みにしやすい傾向があるでしょう。
流行がそのいい例となるでしょう。
服装に限らず、行動様式やモノの考え方に至るまで、誰かにそうしろと言われたわけでもないのに、「ある傾向」を見せることがあります。
自分で選んで「これがいい」と思っているのに、大きく俯瞰してみるとその時代の一時的な流行だったりします。
渦中にいるとなおさら気づきにくいもの。
自分の人生を自分で選んでいると思っているのに、実は大きな流れに乗っかっているだけだった、といったことにならないように、「主体性」を常に気に留めましょう。
自分がこれからやろうとしていることは、本当に自分の意志なのか、それとも他人の意見なのか。
時には、人の言うことなどをきちんと聞いて考慮することも必要でしょう。
でも、自分で考えないで頭から言いなりになる必要はないはずです。
はたしてこれは今の自分に必要なのか、このことは自分で選択しているのか、常に問い返すことが大切なのではないでしょうか。
そのためにも、今の自分の位置とこれから進む方向をしっかりと把握しておくことが必要となるでしょう。