読書ノートのすすめ、時には詳細にノートを作ってみる
こんにちは。
てらぴーだよ。
午後ににわか雨があって涼しくなった夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
36度を超える暑さの後、午後ににわか雨(スコール!)、ってここは熱帯か。
だんだん日本も、ベトナムな気候になるのでしょうか?
暑さは、人間から思考能力を奪うみたいです。
だから夏休みは長いのだ、と小学生のころ教わりました。
なのに、エアコンの発達普及にも後押しされ、夏でもお勉強できる環境となりましたとさ。
コロナが開くかもしれない新しい時代に、どんなことが求められるのか、まだ判然とはしませんが、「学ぶ」というところからは逃れられないでしょう。
学び方の一つのカタチは、「ノートの取り方」として表せるでしょう。
学ぶ内容を「まとめ」、「覚え」ていくときに、ノートの存在は欠かせませんから。
どんなに理解力が優れていても、学ぶ内容が増えたり多岐に渡ったりすれば、忘れることだって起こるでしょう。
その時に、脳の補完をするのがノート。
時には、テキストのほうがよくまとめられていたりしますけど、やはり自分なりのまとめというものができたほうがいいでしょう。
テキストの解説の文章なり内容なりを、自分で要約したり図示したりすることは、頭をよく使うことに他なりません。
それに、まとめを作るということで、「分かったつもり」になるのも防げます。
さらに、他人に説明をするという事案を設けて、「教える」側からのまとめを考えてみると最強です。
いわば、テキストをさらに分かりやすく書き直すようなもの。
テキストの内容をそのまま書き写すのであれば、理解しているのかどうかがあやふやになりますが、他人、それもよく分かっていない初心者に説明するという前提に立てば、自分の理解度も推し量れるというものです。
もとより、唯一絶対なノートの取り方の正解があるはずもありません。
要点書き写しなのか、文章での要約なのか、図や表にまとめるのか、様々なまとめ方があるでしょう。
そこは試行錯誤しながら、自分なりのまとめ方を模索すればいいと思います。
ポイントは、それをもとに説明ができるかどうか。
テキストの内容の再現ができるかどうか。
そのまとめや説明の正しさを担保するのは、聞いている人が分かるかどうかという1点に尽きるのです。
もちろん時間も労力もかかります。
でも時には、「これは!」と思うテキストを詳細にまとめてみるのも、いい刺激になること請け合いです。
「本なんて最初から全部読むものではない」といった物言いが流行っている感がしますけど、それが言えるのは上級者の人だけだと思います。
ある程度の蓄積や教養の土台があれば、いわゆる「ななめ読み」や「飛ばし読み」、パラパラめくって面白そうなところだけの「拾い読み」も可能でしょうけれども、月に100冊も読んでない白帯組は、丁寧に読書を重ねたほうがいいように思います。
書籍に限らず、自分が興味のある事柄の情報を、ノートのカタチにして、蓄えていくことは、知的な生産の観点からも、意義のあることです。
そうした蓄積の上に、「教養」もまた育っていくと思います。